がんと向き合う

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渡 喜美代 さん
(わたり・きみよ)
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1963年生まれ。両親と兄姉5人の8人家族、自然に囲まれた環境で育つ。上京後24歳で結婚、1男2女に恵まれる。38歳のとき直腸がん(ステージ2)と子宮頸がん(ステージ1a1)が見つかり手術、人工肛門と人工膀胱を造設。放射線性直腸炎、仮性大動脈瘤破裂、腎盂腎炎などを経験するが、がん体験者の本を読んでインドの死生観に触れたことで、病気が怖くなくなる。
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4一時的ストーマを閉鎖 (2003年3月)

「10月に退院したあと体調が悪かったので、抗がん剤は11月から始めて、翌年の3月まで週1で点滴を受けていました。病院に行っても『お腹が痛くて』と言って、受けないこともありました。

3月に一時的ストーマ(人工肛門)を閉じることになり、その時点で抗がん剤は(先生が)『もういいか』ということでやめました。ストーマを閉じたあと頻便などの後遺症があり、個人差があるのでない人もいるんですけど、私は結構ひどかったですね。1年近く肛門を使っていなかったので、1回トイレに行き出すと何10回とトイレに走っていました。30〜40分トイレに行きっぱなしみたいな感じでした、2〜3ヵ月ぐらい。

2003年の1年間は、学校でPTAの役員をしたりして結構元気に過ごしていました。」

●放射線性直腸炎 (2004年8月)

「2004年に入ってからまた熱が出たり、お腹が痛くなったりして、8月に術後2年目の内視鏡検査を受けました。そうしたら腸の中が血だらけになっていて。主治医に『放射線性直腸炎という放射線治療の晩期障害になっている。今度は永久的に人工肛門(ストーマ)を造らなければいけない』と言われて、すごくショックでした。一時的人工肛門のときはわりと快適に過ごしていたので、人工肛門を造ること自体がいやだというわけではなかったのですが、また入院して手術しなきゃいけないというのがいやだったのです。

『いやです。どうにかならないんですか』と先生に泣きながら訴えました。ちょうど夏休みだったので先生も『手術するなら今のうちがいいんじゃないの?』と説明してくださったんですけど、私は『どうしてもいやです』と言って、腸の炎症を抑える座薬(ステロイド)をいただいて帰りました。」

●約1年半、入院をこばむ

「(放射線性直腸炎)の痛みはひどかったですね。腸の中はすごい状態だから、本当に1週間に1回ぐらい高熱が出て、お腹も痛いというのをずっと繰り返していたのですけど、どうしても手術に踏み切れなくて。子供たちのことが気になったり、母も高齢で田舎から来てもらうのも・・というのもありました。でも外来に行くたびに先生は手術を勧めるのです。『手術したほうが楽になるし』、ご飯もほとんど食べられない状態だったので、『おいしいものも食べられるし』と行くたびにおっしゃってくださるんですけど。ちょうど暮れぐらいに『すみません、いろいろ家庭の事情もあって、どうしても今は手術を受けられないんです』と言うと、先生が『わかった。いつでも手術できるように準備はしておくから』とおっしゃってくださって、すごく嬉しかったですね。子供たちには『お母さんそんなわがまま言って』と言われました。

そう聞いても手術を受けようとしない私は何なんですかという感じですよね。(入院していると)子供たちのことが気になって、淋しいのかな。とにかく入院がいやだったんですよ。最初のときは、がんはそのまま命にかかわるから拒否しようがなく、緊急だったので拒否も何もないまま治療が進んじゃったんですけど、今回の放射線性直腸炎は、確かに熱もあるし体もだるいけれども、そのまますぐに命にかかわるかと言うとそうでもないという思いが自分の中にはあって、どうしても手術に踏み切れない部分がありました。あとは長男が受験を控えていたりというのもあったんですね。それで1年半近く手術は拒否していました。」

●娘に言われて「はっ」としたこと (2006年2月)

「ちょうど状態もひどくなっていた頃に、いちばん下の子供が4年生で10歳だったんですね。たまたま私がいつものように熱を出して寝ていると近くに来て、『ママ、私は今ね10歳なんだけど、私が20歳になるまで、生きてね』と言われて、『はっ』と思ったんですね。自分は好きで手術を拒否して『痛い痛い』とやっているけど、(この年の12月に離婚したので)子供たちはお父さんもいないし、子供たちと私だけの生活の中でお母さんがいつも『あっちが痛い、こっちが痛い』と言って寝ている。先生から手術を勧められているのに受けない。どんなに不安な気持ちでいたんだろうとはじめて気づいたんです。

長女は中学2年生ぐらいから家のことを全部やってくれていて、『お家のことなんか、気にしなくていいよ』といつも言っていたんですね。息子も『別に俺の受験なんか待たなくていいんだから』って。だから子供たちは、『お母さん、元気になる方法があるんだったら、早く手術して元気になって』とことあるごとに私に伝えていたのに、私は全然子供たちの不安とか淋しさに気がつかなくて、なんで我慢していたのか。だから本当に『あぁ申し訳ないことしたな』とすごく思いました。

それで体の状態もどうしようもないところにきていたのとあわせて、病院に行って先生に『いついつ受験なんです』と言うと、先生はすぐに手術日を決めました。そこまでしなきゃ手術を受けられないのは何だろうと思うんですけど。でもやっぱり自分にとっては必要な2年間だったのかなと思ったりします、言い訳ですけど。手術を拒否していた1年半近い年月は多分必要だったんだろうなと思ってはいるんです。そこまでお腹をいじめちゃったから、そのあと結構、後遺症が出ちゃったんですけど。」