がんと向き合う

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川村正司 さん
(かわむら・まさし)
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岩手県盛岡市出身。2000年(52歳)に直腸がんが見つかる。経営していた会社を1ヵ月で引き継ぎ、直腸がん(ステージ2)切除術を受け人工肛門を造設。術後は不安な気持ちが常にあったが、日本オストミー協会を通じて多くの仲間と知り合うことで人生観が変わり、全国のオストメイト(人工肛門・人工膀胱保有者)のQOL向上をめざして活動を開始。ブログ「オストミー・カフェ」。趣味はお祭りでのお神輿担ぎ(盛岡八幡宮南會)。
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2まったく知らなかった世界

「退院してから、『俺の病気はなんだろう。なんでこうなったんだろう。食べ物はどうすればいい?何すればいいの?』と思いました。装具を売っている方から、『実は日本オストミー協会という患者会みたいなものがあるんですよ』と教わって、その年(2001年)の4月にちょうどオストミー協会の総会があると言うので出かけて行って、傍聴させていただきました。まったく私の知らない世界でしたが、『はー。こういうことをやっているんだ。(オストメイトって)こんなにたくさんいるんだ』と。

そのときにいろんな社会福祉制度や年金があることをはじめて聞きました。残念ながら病院ではこれっぽっちも教えてくれなかったのです。最近教えるようになったらしいですけど。ですから何かその辺を伝えることができないかと思い、オストミー協会に入って少しずつオストメイトというものを勉強し始めたのです。

2002年に滋賀県の守山でオストミー協会の全国大会があり、『とにかく行ってみよう』と思い、ひとりで守山まで行って参加してきました。たくさんの方がお話したり歌ったり笑ったりお酒を飲んだりするのを見て『へー。こんなすごいことみんながんばってやっているんだ。これなら俺でもできるよな』と思い、そこで力をいただいた。私の人生観も変わってきたというか。当事者としてわれわれが日常生活で困ることはいくつもあるわけですね。それをひとつひとつ解決していこう、ということを少しずつやり始めたのです。」

●全国400ヵ所にトイレを設置

「2006年に岩手県で全国大会(日本オストミー協会 第18回全国大会 いわて大会)をやりました。全国大会には東北まで車で来る人もいるでしょう。せっかくオストメイトの方が移動してくるのだから、『高速道路にオストメイト対応トイレを全部つけてもらおう』と、当時の日本オストミー協会会長の稲垣さんと私と行政に強いスタッフと3人で内閣府や当時の日本道路公団に行き、『こういうことで困っている。対応トイレをつけてくれないか』と訴えました。設置まで2年ぐらいかかりました。当初、(国は)これっぽっちも考えていなかったのですが、何回も行っている間に『わかった、つけよう』となり、岩手県大会の2〜3ヵ月前までに全国の高速道路400何ヵ所にオストメイト対応トイレがザーッ!とついたのです。すごいと思いました。」

●当事者が言わなければ社会は前進しない

「そいうことは当事者であるわれわれが言わなければ、社会は何も前に進んでいかない。行政に行って『オストメイト対応トイレを設置してください』と言うと必ず、『誰も言ってこないよ。欲しいって言ってこないからいらないんでしょ?』と言われるので、『言えませんよね。いつどこで便を漏らすかわからない排泄の問題があって、それを知られたくないと思う人が9割いるのに、あなた自分がそうだったら言えますか?私はちょっと特殊な人間だから言うけれども、あなた言えますか?誰も言わないから設置しないというのは、それは間違いです』と行政の方に話しました。少しずつ国も助成金を出していろんな形で理解してきてくれて、そういう部分はすごく弾みになって進んでいるのかなと思います。」