がんと向き合う

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山崎 孝子さん
(やまさき・たかこ)
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福岡市在住、主婦。家族は夫と子ども3人。2007年、51歳のときに極度の腹部膨満感から病院を受診、ステージ(病期)4のS状結腸がんと診断される。転移先の卵巣、原発のS状結腸を手術し、現在は2週間に1度の抗がん剤治療を継続中。博多どんたく祭への参加を地元の患者会に呼びかけ、2008年に「がん・バッテン・元気隊」としてがん患者200名とともにパレードに初参加、参加者に感謝される。
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4子どもたちへの説明

「うちは兄弟が離れていまして、上2人は今21歳と23歳なのですが、下が今10歳です。上の2人にはもう全部話しました。下の子は詳しく話してもどういう状況かわからないだろうけど、話しました。とりあえず『がん』という名前は出しました。上の子どもたちは余命半年と言われたことも知っていますが、下の子には全部は言えないので、『ちょっと大変な病気だよ』と言いました。上の子たちはそれなりに覚悟もしたみたいですし心配もしてくれましたね。下の子が入院されちゃうのでパニクッていましたけど。最初の1週間は本人にとってもお母さんが家にいないというのははじめてだったので、それは多少ショックだったみたいです。病気であること自体は、もう私も普通にできていたので、そんなには影響はないのではないかと思っています。

入院中も周りのお友達がいろいろ『困ったら何でも言え』『うち代わりに使っていいよ』と言ってくださり、なんだかんだとやっていただいていました。

旦那さんはたぶんびっくりはしたと思います。実は旦那さんとは4月の時点でもうかなり険悪な間柄になっておりまして、4月のときは本当に子どもの養育費をどうしようかという話をしていたのですね。その矢先にがんと言われてしまい、旦那もたぶんびっくりしたと思うのですよ。がんになんなかったらたぶんそのまま離婚していたはずなのですけれども、そういう状態だったので、あまり感想は聞いていないのですが、いちおう家族としては心配はしてくれています。はい。」

●余命半年と言われて

「まさか自分はがんになるわけないと思っていましたし、何にもしなければ余命半年ですと寿命を区切られてしまったことで、この先どうやって生きていこうとなりました。今まで普通にそんなものを考えずにきていたので、やはりそういうことを考えるようになってから、とりあえず2年とか5年というスパンで、どうやって生きていこうかと考えるようになりました。それは自分にとっては物凄く大きい変化だと思います。

プラスにはなりました。だから変な話、がんになんなかったらそういうことを考えませんし、どうやって生きていこうかとか、この子どうやってあと2年で育て上げようとか、考えなかったですから。それは反対にがんになったおかげで結構今まで見ないで済ましていたところを見るようになって、そういう意味では大転換期だったと思います。

やはり三番目の子がまだちっちゃいので、そんな余命半年宣言をされても、泣いている暇もないぞという感じで、そうなれたのはいちばん下がいたせいかなと思います。」