「妻がいちばん先に(私のがんのことを医師から)聞かされて、多分いちばんガックリしたのでしょうけれども、こちらはそれを全然知らないで10日間ぐらい普通どおり生活していたし、向こうも先生から話があったということを全然おくびにも出さないでいたので、苦しい時期もあったのかなと思います。
入院しているときも毎日見舞いに来てくれました。以前ツーピースの装具をつけているときに装具が外れて布団を汚すということが結構あったのです。普通だったら『わーわーわー』と言われるじゃないですか。でも『子供のはかわいいけど、あんたのはちょっと汚いから自分で始末しておいて』と。その辺は普段どおりで、そういうのが救いになりました。
いちばん救いになったのは、いちばん下の息子が当時幼稚園だったのですが、電動ベッドが珍しかったのか、遊び感覚で病院に見舞いに来て、その時にストーマを見ても特に『こんなもんなのかな・・』という感覚だったのでしょうけれども、『自分が大きくなったらまた元どおりの腸にしてあげるから』と言ったことですね。『あぁ、ここでまだ死ぬわけにはいかないのかな』という支えにはなりました。ちょっとしたひと言だったのですけれども。
勤務して30年というときに、(会社から)祝い金みたいなものがあって、家族で北海道とディズニーランドに行ったのです。向こうはいっぱい食べたいけれど、こっちはやはり便のことを思うとなかなか好き勝手に食べられない。でも旅行ができたのはいい想い出になっていると思います。」
「何か趣味をもつというか、なんでもいいのですけれども、気を紛らわせるものがあれば、自分がちょっと落ち込んだときに絶対に役に立つと思うので。50の手習いではないですが、何かこう楽しめるものをもってもらえれば、いちばんいいという気はします。」
「歌を聴く機会が病気をしたことで増えたというか、病気をする前だと、月1回ぐらいだったのが、もう今それを聴くために仕事を頑張って、そこで気分転換をはかってという繰り返しをここ数年はやっています。自分としてはその時だけは、ぱっと全てを忘れることができるので、まぁ、いい休養になっていると思っています。
歌を生で聴いて、失敗を聴いて。CDだとどうしても完成された音楽しかないのですが、ライブだとそこにハプニングもあるし。結構顔なじみのお客さんとも会うことができるし、それは音楽に限らず、大切なことなのかなという気はしています。」