「散歩をしなかったら、寝たきりになるというふうに思うね。それまでの健康というのは、半分は遺伝じゃない?子供のときから大病して、結核で右側の肋骨6本はないし、乳がんで右のおっぱいはないしね。
それでも生命力があるというのは、これはやっぱり半分は遺伝だと思うね。あとの半分は、自分の努力と運だね。私は結核をして右の肺がないから、肺炎で死ぬんじゃないかって。今まで大きな肺炎を3回やったからね。だから風邪をひいたら、今までは立ち直ったけれども、今度肺炎になったらもう死ぬというふうに思っているから、風邪をひかないように、鍋にお湯を入れて沸かしたり、寝るときに加湿器を置いておくとか、多少の手当てはしているけれど。
自分でいちばん感じるのは、おいしく食べられるときは健康だと思うけれど、自分でおいしく食べられるようにはできないね。おいしいものがあればたくさん食べることはあるけれども、健康でないとおいしいものもおいしくないじゃないですかね。健康だったらご飯に鰹節と醤油をかけて食べても、たまにはそれでおいしい。(猫の)来太郎と『一緒だね』なんて言って、ふたりで鰹節かけたご飯を食べて、それでもおいしいというときは健康だね。でもそれは自分ではどうしようもないことだね。」
「大腸がんになったのはやっぱり便秘症だったんですよ。若いときからずっと便秘症で、今からすれば苦労したというか、自然になかなか便が出ないからね。一度お腹の手術をしたとき医者に、『あなた便秘がちじゃないですか』と言われてね。どうしてそんなこと医者にわかるんだろうと思ったら、『あなたは人より腸が長い』と。だからそれが大腸がんにつながったんじゃない?長いこと、便が結腸にある程度留まっているわけでしょ。一定の量になるともよおしてきて、トイレで出してくるのね。それを腸が長いものだから、結局長いこと便がお腹の中にいるという、それがやっぱり80歳になった頃、大腸がんが見つかった。そういう生活でよく80歳までもったものだと思う。」
「私はがんが再発しないだろうかという心配はしたことがないのよ。病は気からという言葉があるのは、ただ気休めの言葉のようだけれども、やっぱり鬱っぽくなると目に見えない生命力が弱まるんじゃないかというような。科学的な話じゃないよ。
それは医者に聞いたらわかると思うけど、医者だって、私の場合には半年から1年で必ず再発すると言って。それは手術をしたときに出血がひどくて、腸が長いからついでに切ってあげようと思ったけど、出血がひどかったから命が危ないというので、がんのところだけを取ったわけね。それで腸の外にがんがいたと言うのよ。ひとつふたつって数えられるのか知らないけど、医者が『5つも6つもがんがいたんです』と。だけどもう命が危ないというので閉めちゃったんだと言うのよ。だから、半年か1年後には再発すると言ったんですよ。そのがんがどこか宙に浮いているわけだからね。それがどこへ行ったのかは、私が聞いてみたいぐらいだけどね。
6年目ぐらいのときにその医者は別の病院に移っていて、会うのは先生もたいへんだろうと思って、受診したのよ。健康保険証を持って行って初診料を払って。それでひょっと座ったら先生びっくりしちゃって、『先生、お化けじゃないですよ。やっぱり先生の手術がうまかったから生きていますよ』と言ったら、もうびっくりして。あのびっくりした顔を映画に撮っておいたら、役者の役に立つんじゃないか、びっくりしたときにはこういう顔をするという模範的なびっくりした顔をしたのね。(私のことを)もうとうの昔に死んでいると思っていたのね。それが6年も生きているでしょ。自分が手術したんだから。そのとりきれなかったというがん細胞がどこに行ったのかはかわからんのよ。
だからそういうのは、やっぱり遺伝的な生命力と、あと前向きに生きているというか、楽しんで生きているというか、そういうのも生命力を強くしているんじゃないかと思うんだね。
若い人が早いことがんで死ぬというのは本当にかわいそうだね。どうして医者が間に合わないんだろうって、やっぱりがんの進みが速いので、私とは違うのかなと思うけどね。」
「前向きに生きているというか、生きていることを喜んでいるわけだね。より楽しくしたい、より楽しいものはないか、よりおいしいものはないという、そういう気持ち。より楽しい会話はないかというような、そういう楽しいことを見つければあるのよ。
友達もいるし、やっぱり散歩しても楽しいし、ピアノを弾いてもね。同じところばかりで、新しい曲に行くのが面倒なんだね。暗譜した曲はバーッと弾けるけど、新しい曲は譜面がやっぱり慣れていないわけで。それでも今、ひとつ新しい曲に取りかかっているけど、なにも急ぐことはない。好きなときに弾いていれば、もうやめようと思った曲がまた弾けるというか。それは子供たちが学校でいい点数を取ったり、先生から褒められたりした喜びと似ているんじゃないかな。弾けないものが自分で弾けるようになったと。はじめはいやなんだけど、ちょっと我慢して弾いていると弾けてくるというのは、子供が学校で先生に褒められたりするのと同じで。私自身は誰も褒めてくれないけれども、自分で自分を褒めているの。『あ、まだこの年になっても、新しい曲は弾けるわ』なんてね。
やっぱりパソコンもなるべく毎日書こうと思っているけれども、ときどき面倒くさいと止めることもあるし、うっかり忘れて、『いや・・・ぼけたな・・』と。寝る前は必ずパソコンを開くのだけど、ときどき忘れることもあるから。もう90歳までは今と同じ生活をなんとかしていこうと思っているの。90歳より先は、さっき言ったように、もう人間としての役割は終わったと思う。あとはどなたでもいいからなんとかしてくれと、そんな気だね。」
「そらそうよ。やっぱり来太郎がいると、ひとりで住んでいると思わない。一応、ふたり家族という。この子、18歳だよ。ねえ来太郎、お兄ちゃんだよね。毎晩、ここへこうしてべったりくっついて寝てね、私が起きるまで起きないの。布団の中に入って、寒いと起きてこないんだよ。ちっとも役に立たないんだよ。それだってもう、私の心に本当に役に立ってくれているよね、来太郎。」