「家で暴れたりすることが多かったので、『とにかく入院したい入院したい』としきりに言っていました。でもなぜか、どこの病院を回ってもなかなか入院を受け入れてもらえなかったんですね。だから、ちょっと自暴自棄になっていたんですけども、それが、2000年4月に、外出先でひどく暴れてしまったんですね。で、警察のお世話になって、強制入院の1つである医療保護入院という形で、県内のとある精神科病院に入院することになったんです。
私がいた部屋は、20畳ほどの相部屋でした。そこに10人ほどの患者さんがいるんですね。単純計算すると、1人頭2畳。布団を敷いたらいっぱいなんですね。私が、当時入院していた病院は、窓に鉄格子があって、重く大きな、人の背丈以上もある鉄扉がバーンとある、いわゆる閉鎖病棟ですね。で、看護師さんが鍵を持っていたものですから、自分では自由に外出ができなかったんですね。平日、例えばヘアピンの箱詰めとか単調な作業以外は、とにかく暇で暇で仕方がなかったです。お風呂も、あとから入る患者さんのことを考えて、とにかく急(せか)された。また食事も、100人ぐらいの患者さんが一斉に無言で食事を取るわけですから、とにかく早いです。10分以内でみんな食べてしまうんです。ですから、それに追いついていくのが大変で、かなり焦っていました。」
医療保護入院:精神障害者で、入院を要すると精神保健指定医によって診断されたが、病状のため本人の同意が得られない場合、保護者同意により、精神科病院の管理者は患者を精神科病院に入院させることができる制度。
「私自身も1回暴れて、保護室というところに入りました。私がいた部屋というのは、2畳余りの本当に無機質な、壁面が真っ白な部屋で、剥(む)き出しの和の便器がある。で、長方形にくり抜かれた穴から、食事のトレーを受け渡してもらっていたんですね。
特に今でも印象に残っているのは、雨漏りがしたんですよ。たまたま11月の頃で、雨が降っていて、なぜか保護室に雨漏りがして、布団にポタポタと雨粒が落ちて、じわーっと雨が染みていくわけですね。それが、もうとてつもなく冷たいのもあるし、寂しさも募るし、早く保護室から出たいなという気持ちでいっぱいでした。(保護室は)2日間ぐらいいたと思います。」
「とは言え、何もかも入院生活がマイナスというわけではありませんでした。特に食事については、栄養バランスが保たれていましたし、年中行事も充実していました。夏はそうめん流し、盆踊り、冬はクリスマス大会、パーティーね、そういうので結構行事がたくさんあって、楽しみもあって、良かったというところもありました。
なかでも一番良いと思うのは、その病院にいまだに通っているんですが、薬のことですね、多剤処方じゃないということです。私の病院の場合は、その人その人に応じて、適切な量を処方しているんですね。だから私自身も決して薬漬けにはされなかったし、いまだにバランス良く薬のコントロール、微調整はできるので、その辺は非常に有り難いなあと思っています。
(入院は)2年余りと長い。と言っても、患者さんのなかには30年40年入院している人もたくさんいましたから、それから思えば短いほうかも知れませんが。今思えば、私にとってあのとき、あの入院の時空間(じくうかん)があって良かったんだなあって、つくづく思うんですね。で、退院する少し前に、統合失調症の診断がやっと下ったんです。」
「5、6種類は飲んでいたような気はします。今は減っているんでね、それよりはちょっと多かったかなあと思いますね。(薬の説明は)全然ないですね。ただ、朝・昼・夕と、包まれた薬、いちいちカプセルを爪で押し出して飲むとすごい時間がかかるので、袋に薬がまとめて入れてあるんです。今の病院、だいたいそうでしょうけどね。それを朝・昼・夕と定期的に飲んでいた。」
「入院中は面会ができます。週1回、母と妹が必ず来てくれたんです。で、入院生活を続けていると、話す話題がないんですよ。なぜかと言うと、外に出られないから。たいていの患者さん、自分を含めてですけど、過去の話か今の話、今と言っても『明日のご飯は何かな』とか、『明日シーツ交換だね』とか、その程度ですね。ましてや未来の話なんて、外に出て何か活動しているわけじゃないから、未来の話はできないんですね。だからそのときそのときの話題を、家族に言っていただけなんですけど。週1回、きちんと来てくれて、見守ってくれているんだなあと思って、とっても嬉しかったですね。
外泊のことなのですが。入院して1年半ぐらい経った頃に、状態も安定してきたというのもあって、3、4週間に1回のペースで、4泊5日ぐらいの日程で自宅に帰っていたんです。ただ、普段、病室で運動をまったくと言っていいほどしていないので、体力が相当落ちていた。ちょっと歩くだけでゼーゼーハーハー言うぐらいだったんですね。また、家族で街へ遊びに行っても、人混みが…、普段、病室の静かで刺激がないところからいきなり都会とかに行くと、刺激が多すぎて疲れてしまうんですね。それに加えて幻聴とか妄想が出てくると、とても辛かったのを覚えています。」