「自立という言葉があると思うんですけど、私は、この自立には予め基準というものはないと思うんですね。基本的に、その人その人が決めるものだと思うわけです。なので、その人によって、自立の意味合いというのは、多種多様、十人十色だと私は考えています。
そして、これは父親から聞いた言葉なんですが、人は生きたいように生きているんだということですね。精神疾患を抱えた当事者1人1人が、その人の決めた信念に従って生きているわけです。たとえその人の生き方が、自分と相容れなかったり、合わせるのが難しいなあと思った場合でも、その人自身を変えることはできないんですよね。だから、人は人、自分は自分という一種の割り切りのようなものが必要で、自分が決めたりとか考えたりすることを、他の人と比べたりする必要はないと思っているわけです。
もう1つ、主治医の先生が、『自分をよく知ることが大切』だと言っているんですね。自分を知るというのは、自分自身の弱さですとか、症状などによるしんどさもですけど、長所、良さ、自分にはこういう良さがあるとか、そういうのも含めて、自分というものを、多面的に見るということだと僕は考えています。なので、自分を知ることによって、より他者をも知ることにつながるんじゃないかなと、私は思います。」
「(私は)あんまり人がやりたがらないことをしたがるという癖があってね。レールネットワークにしても当事者会にしても、やっぱり、責任が重いから逃げちゃうようなことを、なんかやってしまうという、ちっちゃい頃からの癖かもしれないんだけども。やっぱりそれをやることで、生き甲斐を感じるんですよね。『ああ、やっててよかったな』と思える瞬間が、やっぱり自分にとって一番至福のときというか、そんな感じがしますね。」
「そうですね。私の家族は、割合、病気に関して寛容なので…。今までほんといろんなことがあったんですね。父親が理解してくれなかったり、まあ、妹も実は同じ統合失調症の病気なので、母親が主に面倒を見ているんですけど、まあ、そういうことで、病気への理解度というのは、割とわが家は高いほうだと思います。なので、非常に恵まれた環境。今、回復してこうやってしゃべれるのも、家族のお陰だとは思っております。」
「とにかく不安定に揺れ動く当事者の方というのは、ほんとうに対応が難しいと思うんですよね。私自身もそうでした。発症してから入院するまでの間は、特に。無我夢中で、必死で、自分ももちろん混乱していますけど、家族ももっと混乱していた。そういう日々がずうっと続いていた。でも、入院した頃から、少しずつ、自分よりも家族が温かい目で病気を見てくれるようになった。入院ということに関しても、否定的に見ることがなかったので、とてもそういう点では心強かった。ですから、今、まさに不安定に揺れ動いている当事者の方を抱える親御さんは、ほんと、とっても大変だとは思うんですが、先ほども言ったように、いつか必ず道は開けるんだと、ほんと信じ切って、長い目でじっくりと見守っていただけたらなあと思っているわけです。」
「精神障害または精神障害者への差別や偏見というのは、これまで一般社会がスポットを当てずに避け続けてきた。で、地域社会からひたすら追いやっていった。要は、隔離をしていったんですね。で、強いものを世の中に出して、弱いものをどんどんどんどん引っこめたことで、特に精神障害者というのは、一般の人から見るとわかりにくくて、奇異な、奇妙なイメージを植えつけてしまったんじゃないかなと思うわけですね、社会が。だから、なんとなく怖いとか、何をするかわからないとか、そういう漠然としたイメージ。漠然としたものには怖さを感じると思うんですよね。
あと、精神障害そのものへの無理解、ね。精神障害への無理解が、差別や偏見を増幅させているんじゃないかなと思うわけですね。なので、大切だと思うのは、病気に関する正確な情報というのを、まず知ることだと思うんです。できたら、本とかというんじゃなくて、当事者のこういう生の声に耳を傾けて欲しいんですね。そして、できれば実際に一般の方は、当事者の人と会ってみるということですね。会ってみることで、今まで、ただなんとなく描いていた精神障害者というイメージが、マイナスからプラスに大きく変わっていくんじゃないかなあと思っています。」