「元々、大学時代から生きることにすごく悩んだというか、すごく悩みが強くて…。あのう、人間誰しも、『明日がある』というふうに思いながら生きていますよね。でも僕の場合はなぜか18歳ぐらいから、明日というのは自明なことではないというか、当たり前のことではないという意識が芽生え始めて、明日は死んでいるかもしれないという、ま、強迫観念に近いのかもしれないのですけども。そういう気持ちがすごく強くなりまして、ずっと、『自分はどう生きたらいいか』ということを考えつめるようになっていったんですけども。
結局、大学4年生になりまして、『このまま就職してやっていって、それで自分は果たしていいのだろうか』という疑問がすごくありまして、そこらへんの葛藤ですよね
とある大学の英文科だったんですけども、いろいろ本などを読みまして、前が見えないというか、そういうふうになっていった時に、だんだん眠れないとか、そういう症状が出始めました。自分ではもう、『これは、ちょっと病院に行かなくてはいけないなあ』というふうには思ったのですが、僕が精神科に抱いていたイメージというのが、閉じ込められたりとか、無理やり薬を飲ませられたりとか、そういうイメージがあったので、行くのにちょっとためらいがあって、ずうっと行かなかったんですね。あと、行ったら行ったで、やっぱり世間には隠していかなければいけないのではないかというの(気持ち)があって、就職もできなくなってしまうということもあって、ずうっと(病院に)行けないまま大学を卒業してしまったんですけども。」
「その間に、友達がインドに行くということがあって、一緒にインドに行ったんです。それで、(日本に)帰ってきてから、妄想が少し出てきまして、自分が何か人に悪いことをするのではないかとか、物を盗むのではないかとか、そういう気持ちが出てきまして、『これはやばいな』とは思っていたんです。1回だけ、一応診てもらおうとして、とある病院に行ったんですけども、やっぱり、ちょっと話がかみ合わなくて、そこは1回だけでもう(行くのを)やめてしまったんですけど。
元々、家がパン屋だったものですから、パン屋で納めていた、知っている病院だったんですよ。精神科をやっている病院だということで、たまたまそこに行ったんですけども。23歳(の時)ですね。最初のその(通院を)やめたところの精神科は。」
「いやあ、結局、(医師と)話がかみ合わなかったですね。僕を診ても、あっち(医師)はピンときていないみたいな感じで。僕は、ただ、自分がインドで、人にお金をあげなかったとかそういうことを言っていたので、(医師からは)、『何ですかそれは?』という感じで言われて。結局、『取りあえず薬を出しますから』ということで、薬を出されたんですけど。
(薬の種類は)いや、覚えていないです。もうそのまま、服薬もやめて…。そのう、知識がなかったために、薬で良くなるということがよく分からなくて、自分のほんとうの悩みとかをかき消してくれるものなのだろうかというの(思い)があって、『薬を飲んだからってどうなんだろう』と思ったんですね。」