統合失調症と向き合う

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原田幸一さん
原田幸一さん
(はらだ こういち)
1974年生まれの36歳(収録時)。18歳ぐらいの時から「どう生きたらいいのだ」という悩みが強く、不眠などの症状が出ていた。23歳の時に精神科を受診するが、通院を中断。その後別の病院を受診し、入院治療を受ける。退院後は、デイケアや作業所などを利用しながらリカバリーでき、現在は、A型事業所に勤めながら、就職活動をしている。障害基礎年金2級を受給。同じ精神障害を持つ妻、実母との3人暮らし。
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9東日本大震災(2011年3月11日)について
Q.地震の時はどこで何をしていましたか

「A型事業所の喫茶店で働いていました。(復旧までに)3か月ぐらいはかかっていますよね。ライフラインがなかなか元に戻らなかったので、それまではほんとうに大変でしたね。

市営住宅に住んでいたんですけども、建物自体は大丈夫だったんですけども、買い物も、何日にどこが開くとか、そういう情報を集めて。僕が住んでいたところは、周りに食べ物関係のスーパーとかがあまりなかったので、 歩いて遠くまで行かないといけなかったので、そういうのはすごく大変でしたね。」

Q.薬や通院での不都合は?

「最初、(通院している病院に)連絡がつかなかったんですよね。どうなっているかが分からなくて、電話をかけても出ない状態だったので…。電車で行かないと行けない場所だったのですが、電車もストップだったので、結局、一番最初に受けた病院のほうに行って…。たまたまカルテも残っていて、飲んでいるお薬手帳があるので、お薬手帳を持っていって、処方してもらって飲んだんです。それでも、何種類かはなかったんですよね。そのために、(薬の量が)一時的に少ない状態で飲んでいたんですけど。

症状は、悪い状態にはならなかったんですけど、幸いにも。逆に、そういうふうになってしまっていたので、取りあえず。その時、たまたま妻が、今名前が変わったと思うんですけど、地域生活支援センター(現:地域活動支援センター)というところで働いていたので、そこに行って、どこの病院が動いているかとかそういう情報がそこにすごく集まってきていたので自分のクリニックもやっているという話を聞いて、あと、どこからそこの近くまでバスが通っているという情報を自分で集めて、バスに乗って行って通えるようにはなったんですけど。

たぶん、みなさん、薬は大変だったと思いますね。これから震災の時、何かどこかで大きな地震があった時には、薬をどうするか…。聞いた話では、在庫があまりないために、長い期間出さない、1週間分ぐらいとか3日分ぐらいとか、そういう単位でしか出せない所もあるというように聞きましたので、そこは、ほんとにちゃんとしないといけないなと思いますね。」

地域活動支援センター:地域で生活していくうえで生じる問題、相談などに対応する機関。ほかの機関とも連携しており、社会資源(福祉サービス)の紹介や住宅、職業、生活支援サービスなどの情報が得られる。障害者自立支援法に基づき2006年10月から制度化された。

Q.薬の他に大事なものは?

「やっぱり、情報ですよね。情報がないとどうにもならないですね。それはたぶん一般の方も同じだったと思います。薬もそうですし、どこが受け入れてくれるのかとか、自分のクリニックがやっているのかとか、そういう情報をきちんと伝えられるかどうかはすごく大事だと思いますし、そのためには、たとえばラジオなりなんなりを用意しておかなくてはならないと思いました。

あと、電気がついてテレビを観ていても、精神障害の薬に関しては(情報を)流さないんですよね。たとえば、人工透析とかそういうの(情報)はすごく流すんです、どこでやっているとか…。精神障害は一切そういうことがなかったので、そこは、テレビ局とかそういうメディアのほうでも変えていかなくてはいけないのではないかと思いますね。」

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