統合失調症と向き合う

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河野孝徳さん
河野孝徳さん
(かわの たかのり)
1974年(昭和49年)生まれ、37歳(収録時)。18歳頃から不調を感じており、22歳の時(大学生)に受診する。大学校(農業従事者を育成する)卒業後は実家に戻り、実家の農業に従事する。現在は、体調を見ながら実家の農業を手伝うとともに地域活動に参加している。両親、祖母との4人暮らし。
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3実家に戻ってからの生活
Q.実家に戻ったのはなぜですか

「実家の農業をやろうと思っていたもので、(実家に)帰ってきました。

それからですね、町立病院から紹介してもらった病院に通いました。そこでたぶん記憶が合っているかどうか分かりませんけれども、ドグマチールトリプタノールか何かを出されたような気がします。

(症状は)“うつ状態”みたいなことで、調子も徐々に上がってきたのでいい感じかなあと思っていました。いいかなあと思っていたものですから、薬を自分でやめて病院に行かなくなったりしました。そしたら体調が崩れましたね。

(病院には)1年通ったかどうかです。1年通っていないぐらいじゃないですかね。」

ドグマチール(スルピリド):抗精神病薬
トリプタノール(アミトリプチリン塩酸塩):抗うつ薬

Q.体調が崩れたあとの生活は?

「臆病になって、人が怖くて、人から逃げたりしていましたね。引きこもりもありました。もう辛いから部屋にこもっていたんです、押し入れの中に隠れたりして。ただ、なんて言うか『怠けているだけじゃないか』という感じにとらえられて、親から無理やり仕事に連れ出されたりすることもありました。

(症状が)安定するまでには、やっぱり8年…、30(歳)ぐらいになった時まで、人生から逃げていましたね。」

Q.体調を崩したあと、通院はどうしましたか

「妹の上司の紹介で、新しい病院に行くことになりました。22〜23(歳)だったと思います。

ものすごくいろいろ変わっていったので…、病状、診断名も先生によってめまぐるしく変わっていったのです。最初、さっき言いましたように、“不安神経症のうつ状態”と言われたり、そして症状も変わってきたので、“自我障害”と言われたり、いろんな病名がつけられたような気がします。(薬は)自分の訴えによって、先生が処方するというような形でしたね。

(自宅から)遠いこともあったので、近くの病院に変わったりして、ほんとに1年もたないぐらいで入退院の繰り返しというような状態でした。

だから、入院したら休む。休んだら、(家に)帰ったら仕事をしないといけないということで、病気をまだ受け入れられていなかったものですから、普通にできると思って1日やると、もうヘロヘロに疲れて何もできなかったですね。続かなかったです、仕事は…。」

Q.入退院を繰り返している時に出た症状を教えてください

「気分的な障害ですね。気分が高揚したり下がったり。あと、薬を飲んでいることで、アカシジア的なこと(抗精神病薬の副作用)もあったような気がします。」

Q.病名を医師から説明されましたか

「はっきりというよりも、最初の状態で“自我障害”と言われていましたから。“自我障害”も統合失調症の症状の1つじゃないんですかね。

その時は(統合失調症とは)思いませんでした。まだ病気を受け入れられる段階にきていなかったですから、『どうにかなるもんだあ』(と)。でも絶望したこともありますけれども。人生を投げ捨てたり、ですね。」

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