「実家の農業をやろうと思っていたもので、(実家に)帰ってきました。
それからですね、町立病院から紹介してもらった病院に通いました。そこでたぶん記憶が合っているかどうか分かりませんけれども、ドグマチールとトリプタノールか何かを出されたような気がします。
(症状は)“うつ状態”みたいなことで、調子も徐々に上がってきたのでいい感じかなあと思っていました。いいかなあと思っていたものですから、薬を自分でやめて病院に行かなくなったりしました。そしたら体調が崩れましたね。
(病院には)1年通ったかどうかです。1年通っていないぐらいじゃないですかね。」
ドグマチール(スルピリド):抗精神病薬
トリプタノール(アミトリプチリン塩酸塩):抗うつ薬
「臆病になって、人が怖くて、人から逃げたりしていましたね。引きこもりもありました。もう辛いから部屋にこもっていたんです、押し入れの中に隠れたりして。ただ、なんて言うか『怠けているだけじゃないか』という感じにとらえられて、親から無理やり仕事に連れ出されたりすることもありました。
(症状が)安定するまでには、やっぱり8年…、30(歳)ぐらいになった時まで、人生から逃げていましたね。」
「妹の上司の紹介で、新しい病院に行くことになりました。22〜23(歳)だったと思います。
ものすごくいろいろ変わっていったので…、病状、診断名も先生によってめまぐるしく変わっていったのです。最初、さっき言いましたように、“不安神経症のうつ状態”と言われたり、そして症状も変わってきたので、“自我障害”と言われたり、いろんな病名がつけられたような気がします。(薬は)自分の訴えによって、先生が処方するというような形でしたね。
(自宅から)遠いこともあったので、近くの病院に変わったりして、ほんとに1年もたないぐらいで入退院の繰り返しというような状態でした。
だから、入院したら休む。休んだら、(家に)帰ったら仕事をしないといけないということで、病気をまだ受け入れられていなかったものですから、普通にできると思って1日やると、もうヘロヘロに疲れて何もできなかったですね。続かなかったです、仕事は…。」
「気分的な障害ですね。気分が高揚したり下がったり。あと、薬を飲んでいることで、アカシジア的なこと(抗精神病薬の副作用)もあったような気がします。」
「はっきりというよりも、最初の状態で“自我障害”と言われていましたから。“自我障害”も統合失調症の症状の1つじゃないんですかね。
その時は(統合失調症とは)思いませんでした。まだ病気を受け入れられる段階にきていなかったですから、『どうにかなるもんだあ』(と)。でも絶望したこともありますけれども。人生を投げ捨てたり、ですね。」