「30(歳)を超えた時ぐらいからですね、自分を受け入れるような姿勢が見られてきたような気がします。
(それまでは)誰のせいの病気でもないじゃないですか。親のせいでもなく、他の人のせいでもなく、自分のせいでもなく…。若かったので、ぶつけるところがなかったものですから、物にあたったり人にあたったり、暴力的な日々が続いたこともありました。
躁状態になったりすることもありましたので、めちゃくちゃな時もありました。うつになると、もう寝てばっかり…。そんな状態が続いたこともありました。」
「まだ、私が病院に通いはじめた頃は、通っていた病院にケースワーカーが1人ぐらいしかいなくて、情報を得ることはあんまりなかったと思います。」
「まずは、最初自分で穏やかになろうと思って、そして、人生、生きているうちに生まれ変わりたくなりました。思考を変化させてみたり、試行錯誤でした。四苦八苦していたような気がします。
生まれ変わろうと思っていろいろやってはみたものの、人間て生まれ変われないんですよね、生きていてもですね。自分はそう思うんですけれども…。人生というのは過去も現在も未来もつながっていて、その人の人生なんですよね、たぶん、自分の中ではですね。だから、ちょっといろんな面で変わることはできても、生まれ変わるということ自体はできないと思いました。だから、『今を生きよう』と思いました。」
「4年前でしたかね、入院中に、ピアカウンセリングと出会いまして。東京から当事者の方が来られたんですよね。
ピアカウンセリングセミナーを『(地域活動支援センター)すみよし』主催であった時に、今年で4回目だったんですけど、第1回目の時に参加させてもらって、もう度胆を抜かれました。『病気病気』と自分の中では思っていても、そう思わせられないんですよね。来られた当事者の方は普通に、普通の人間として生きていらっしゃる。その姿を見て、『あ、こんなふうにも生きられるんだなあ』と思いました。ピアカウンセリング(ピアカン)にはまっていきました。
最初は職員主体でやっていましたけれども、職員がJHC(板橋会)のほうに行かれて勉強されて帰って来て、いろいろアドバイスくださって。それから、自分は1回目からピアカンセミナーに参加していたので、当事者とかが司会を行うことになってからは、初めのうちからもうピアカウンセリングに関わりだしました。
そうですね、ピアカンがあまりにも衝撃的で素晴らしいものだったので、(地域活動支援センター)すみよしより近い支援センターにも取り入れられないかと思いまして、ピアカウンセリングとまではいかないのですけど、ピア活動をできないかということで職員の方と話して、今、もうどれぐらいですかね、結構続いています。」
JHC(板橋会):精神障がい者の社会参加をはじめ、先駆者的創造的な福祉活動を進め、広く区民の心と健康と福祉に寄与することを目的に1983年に設立された民間の支援団体。東京都板橋区にある。(ホームページより一部抜粋)
http://www.jhcitabashi.com/
「展望…。仕事はですね、やっぱり精神保健福祉関係で、資格も何もありませんけれども、ほんとうの純粋なピアとして、まだ(自分のいるところは)遅れているのか国がどうなのか分かりませんけれども、ケースワーカーの方々等と仕事ができたらいいなあと思っていますけれども。」