「2回目の入院をする前に、先ほど申しあげた通り、物を壊したりとか、母にあたったりとか、その時がやっぱり一番、葛藤だったんですね。自分の病気を受け入れる葛藤がそこですごくあって、『なんで私がこんな病気にならなければいけないのか、それは親の育て方が悪かったんだ』と、そういう葛藤の時期が一番やっぱり辛かったですね。」
「やはり、最初ですね、まず精神分裂病だと自分が分かった時に、ものすごいショックをまず受けますよね。で、受け入れられないです。自分がそういう病気だということを。今は、多少波はありますけれども元気にやっていますが、その病気を受け入れるまでが、ほんとに長い道のりだったなと思いますね。」
「私の所属している法人で、アメリカ人の当事者の方をお呼びしたことがあったんですね。その方達は、当事者でありながら、当事者の方のために働いていらっしゃるんです。権利擁護(けんりようご)とかの仕事をしていらっしゃるというお話を聞いた時に、“目から鱗”だったんですね。当事者が当事者のために働くというのが。
ほんとに私は、障害者だから健常者に何かしてもらうのが当たり前という感覚でいたのですけれども、当事者が当事者のために働けるというのが、本当に、『ああ、いいなあ』と思って…。それで、自分でも何かできないかなと思いはじめたんですよね。結局、自分が病気になった経験を、『あ、活かせる』と思ったんですよね。(それがなければ?)うーん、やっぱり親を責めていたかもしれませんねえ。
やっぱり、同じ仲間同士で病気のことをオープンに話たりということで、かなり緩和されてきたとは思うのですけれども。ただ、根幹にある『なんで私が病気にならなければいけないの』という気持ちというのは、アメリカ人の当事者の方の話を聞いた時に解けていったという感じですかね。
何か自分で当事者のためになることをできないかと思っていた時に、 “退院促進支援事業”といって、長期入院されている方を退院してもらって、地域で受け皿を作るという事業をうちの法人が受けたんですね。その時に関わってみませんかとお話をいただいて。その事業というのは、病院のほうの受け入れ態勢がちょっと整っていなくて、受けることは途中でやめになってしまったのですが。でも今、ピアサポーターとしての活動として、病院の中に入ることができるようになったので…。」