「まず薬物療法で、症状に合う薬を合わせていったのですが、最初なかなか合わなくて…。ものすごく激しく暴れたり、なんて言うか、自分が自分で分かっていないような状態で、何か月間かな、しばらく(そういう状態)だったのですけれど。
でも、しだいに合う薬が出てきて、それで落ちついてきたのですけれど。(その)あと落ち着いてきたら、院内にデイケアとOT(作業療法)があって、OTから(に)、看護師さんにつき添ってもらって、通い始めた形になるのですけど。」
デイケア:地域の保健所や精神保健福祉センター、医療機関などで、個人別の評価と働きかけ、およびレクリエーションやSST(社会生活技能訓練)などのグループワークを組み合わせることで、社会復帰の足がかりとする取り組み。
「そうですね、治まっていましたね。薬自体の副作用が出ていて、よだれが激しかったんですけど、それ以外は(なく)。
その(退院の)時、春だったのですけど、桜が咲いていて、『きれいだなあ』とつぶやいたら、母が『だいぶ、よくなってきたんだなあ』というふうに言ってくれたんです。自分でもちょっと嬉しかった記憶があるのですけれど。」
「もうずっと同じ先生に診てもらっています。
(主治医とは)病気のことというより、統合失調症の症状は治まっているので、今のところは、ずーっと念頭にある、生活リズムを整えるという目標があるのですけど、やっぱりそのことを基本に、世間話的なことのほうが多いです。でも、やっぱり、なかなか自分で律するということが難しいなあと思って…。」
「たぶん、(入院の)あとで知った形だと思うのですけど。その時(入院時)はとにかく、もう、歌ったりしているような状態なので、もう何もなく。だから言っても伝わらないような状態だったと思うので、あとでやっぱり冷静になってから、親から告げられたのだと思うのですけれど。」
「それは劇的な瞬間とかそういう感じではなかったと思うのですけれど。そうですねえ、病名を直接聞いて辛かった時はないのですが、やっぱり、デイケアに通い始めてから、ま、年頃ですから、友人とか(が)大学とかに行っていて、『自分は何もしていないなあ』と思うと、むなしくなったりして…。
病名から直接何か悩むことはなかったのですけど、その状態に悩まされたと言うか…、そういう感じでしたね。
そうですね。なんとかしなきゃいけないのだけれど、何もできない状態という感じで…。ま、そういうことを言うと、病気でなくても、みんなやりたいことがうまくいかないという状態という意味では一緒なのですけど。でも、ちょっと自分で言うのもなんですけれど、(自分を)偉いなあと思ったのは、『病気のせいだから私はこうなんだ』とか、そういうことはあまり考えなかったような気がします。」
「ネットとか、今、ありますけど…、そうですね、自分で検索したり、この症状がどうだとかは。疑問に思ったことは主治医に聞いていたような気がしますね。
主に母が、全家連の冊子を読んで勉強してくれていたみたいなのですけれど。やっぱり、起こりえないというとおかしいですけど、遭遇したことがないことに遭遇したわけですから、やっぱりどうしていいのか分からなかったとも思うのです。でもやっぱり、ふさぎ込まずに、一緒に母も“うつ”とかになってしまっていたら、本当に困ったと思うのですけれど、いろんなところに相談してくれたのが、救いでした。」
全家連:全国精神障害者家族会連合会の略称。2007年に解散した。