「やっぱり仲間いうんか、病気の仲間が悲惨な目に遭うているから、これをなんとかせなあかんと思うて。『人のためになれ』というのは、小さい時から聞いていたから、小学校の先生がよう言うていたから、人のためにならなあかんと思うて、ほんで仏門に入りました。
それで入った経過というのが、お寺に手紙を出しました。本を読んで本に出てきて、お寺の本が良かったから。山田無文老師(説話集)という本です。その本を読んで感激してすぐ手紙を出して、『僕は病気やけど、坊主になってみんなの仲間のためにやりたい、人のためになりたい』と…。ほんで感激されて、『ほんな来い』ということになり、行きました。
(お寺に)行ったらね、外(国)人の方もおるしね、直日(じきじつ:座禅の指導役)さんいう人もおるしね、面白かったです。面白かったけど、なんか緊張しますね。全然畑違いのところに行ったからね、戸惑いました。そやけど、あそこで国際交流ができたというか、それは嬉しかったですね。イタリア人とか、それからアメリカ人とか、来ていましたね。」
「いやあ、朝早かったですね。4時頃だったかな、起きて、掃除したりね。禅寺はやっぱり掃除がポイントですね。玄関の表(に)出て、冬やのに掃除してね。それがまたきれいになるんですわ。集団で掃除するんですわ。門の前の家のところまで掃除したりしました。
ほんで昼間ご飯に呼ばれて…。みんな、朝早いから、参禅(さんぜん)などに行きましたわ。先生のところ、部屋に入って禅問答するんですわ。僕は行かんかったけどね。ほんで、そのうち作務(さむ)という労働(を)したりね。植林の木を切ったり…、そんなことをしていました。」
「いやぁ、恥ずかしい、1か月しか続かなかった。寒かったしね。ほんで(お寺の)先輩の皆さん(から)は、『お前なんやぁ、いくじなし』と言われるし。男として恥ずかしかったです。やっぱりあそこ(禅寺)は男(を)磨くところですね(笑い)。」