統合失調症と向き合う

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Y.F.さん
Y.F.さん
1945年(昭和20年)生まれ、69歳(収録時)。2週間に1度通院している。両親亡きあとは一人暮らしをしており、現在は、病院の売店の仕事やピアサポート活動、当事者の会を運営するなど、充実した毎日を送っている。短期間であるが禅宗のお寺で修行した経験があり、現在のこころの支えとなっている。
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6いちばん辛かった時
Q.今まででいちばん辛かったこと(時)は?

「やっぱりね、自殺未遂した時か、それはちょっと辛かったですねえ。病気も治らんしね、それで仕事もあんまりできていなかったし、将来をどないいうんかね、あかんなあ思うて…。もう金もないし、生きていかれんなあ(と)思った。そんなんばっかりでしたね。

それは、47(歳)か48(歳)の時です。その時は辛かったですね。そのうちお袋も寝込むし、僕も入院したし。もう体力がないというか、薬(を)飲んで死のうと思ったんですけど。

弟が(から)ね、『兄貴だけ死んでね、ええめ、するな』と言われました。あれが、嬉しかったですわ。『もう俺も死にたい』というのか、弟がね。兄弟やからそんなことを言うてくれて嬉しかった。

そのうち主治医の先生も、『お前の弟や兄貴は銀や銅や、俺は金や』(と)。『なんでですか』と言うたら、世界で一番にお前のことを思っているから自殺するな、と言うことですわ。嬉しかった。だから死んだらあかんですね。

それと(辛かったのは)、友だちが(から)、『もう、こんなお前みたいな精神病は不名誉だから死ね』と言われた。朝鮮の友だちと仲良くさせてもろうておったんです。そいつが、僕が発病したら、発病したのち(遊びに)行ったら、『もう来るな』と言われたんです。それは辛かったですね。そやけど、その友だち(が)死んだ時は、僕、『友人代表で線香を上げてくれ』と言われました。朝鮮人の友だちのお父さんからね。だから僕は可愛がられた(と)思いますわ。その友だちのお父さんにね。僕の実の親は日本人だけどね。それで友人代表で線香(を)上げました。」

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