「8か所です。何回入院したかまでは憶えてはおりません。1年・2年単位ではなくて、数か月単位で、1か月の時もあれば3か月の時もあったり、そういった入・退院の仕方でした。」
「薬物療法が中心です。あとカウンセリングと、その2つがメインですね。心理テストも受けました。でも、たしかに私の性格をよく当てたなと思うような答えでしたけれども。心理試験も受けましたし、医師との面談もありました。それぐらいです
(心理テストは転院時)毎回行われます。」
「まったく憶えていません。かなりきつい薬だったと思うのです。鼻血を出したり、頭痛がとにかく絶え間なくあったので、1日中泣いていたのを憶えています。
でもそれは、9年間にとどまらなかったです。統合失調症と診断されて、しばらく経ってから体感幻覚みたいなものが現れてきました。例えば、頭のてっぺんに、脳に手を突っ込まれてぐにゃぐにゃされるとか、虫が這ってくるとか、そういうのが現れだすようになりました。
1回すごい良くなったことがあったのです。その時に先生から薬をごそっと減らされたことがあって、一気にうつになって、禁断症状みたいなものが起こったことがあるのです。顔の筋肉がこわばって、しゃべれない、コンタクト(レンズ)も入れられないほど震えがきたり……。だから先生が慌てて元に戻して、それで1週間・2週間入院して、元の状態に治まって、今に至るのです。」
「(お母さん」私が補足します。婦人科に行きました。ホルモン剤を鼻から注入されて頭に血がのぼって泣くことが増えました。情緒不安定になりました。摂食障害になりました。それから、様子がおかしいというので、私と主人とで大学病院へ行きました。そこが5分間診療だった。それで病名も分からないので、それからしばらくして、知人の紹介で市民病院に5か月入院しました。
その時は、毎日ノートへ状態を書くように言われて、一冊あって、毎日先生がそれを見てくださって、『そのままでいいですよ』とか、『しばらくその気持ちを忘れないように』とか赤字で書いてくれて、毎日そのノートのやりとりと投薬とカウンセリングでした。3番目(の病院)。
それからその先生が(M)クリニックに引っ張られて、この人も、結局その先生を追いかけて行きました。そこで入院しました。これで2度目の入院です。それから、いい先生がいるというので日赤へ行ったら、いい先生ではなかった、実際は。それで中央病院へ行きました。(診断は)全部“うつ”でした。最初の統失(トーシツ)みたいに、いきなり幻聴や幻覚が現れれば、今まで病気を引きずらなかったのでしょうけど、統失(トーシツ)の状態が全然なかったので、ただもう情緒不安定、鬱々(うつうつ)としている。そんな状態なので、どこの病院に行っても“うつ”という病名がついていたのです。
それで、(I)センターへ行って初めて、6つ目(の病院で)、統合失調症という病名がついて、統合失調症のお薬が出たのです。それで状態が良くなったのです、一時。そしたら、状態が良いからというのでごそっと薬を2種類に減らされたのです。たくさん出た薬(を)。そしたら禁断症状が出て、それから(薬を)戻してもらった。そこで13年行ったのだったかな通院、入院も兼ねて13年。
変わったのは去年(2015年)なのです。平成16年からの医療明細しか残っていないのですけども、(ずっとメインの薬として)セロクエルが出て、(その他全部で)13種類のお薬が出ていて、(薬を)減らしてほしいと言っても減らしてもらえなかったのです。(体感幻覚もひどくなり、辛さにビールを飲むようになり体重が)67Kgまで太ったのです。
それで、相談して、(別のI)クリニックに変わったのです。メインのお薬もリスパダールに変わったことにより、薬が6種類に急に減って、今度はうつの状態がひどくなって、自殺願望がひどくなったのです。それで、10月末の26日に、実は私が精神保健福祉(会)の電話相談をしている(ところの)理事さんが、訪問看護ステーションを立ち上げた(H)病院があるんですよ。で、訪問看護もしてほしいからと、その理事さんに頼んで、(H)病院に入院したのがこの間です。10月からこの1月まで。それから、退院してきてこの調子なのですけどね。(H)病院にかかるようになって退院してからは、隔週で診察があって、毎週訪問看護に来ていただいて、現在に至っているのです。」
セロクエル(フマル酸クエチアピン):非定型抗精神病薬
リスパダール(リスペリドン):非定型抗精神病薬