統合失調症と向き合う

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小松崎隆さん
小松崎隆さん
(こまつざき たかし)
1962年生まれの54歳(収録時)。高校2年生の時に発症。大学を卒業し、就労するが退職。入院体験は2回。ヘルパー2級の資格を有し、現在は身体障害者の介護のアルバイトをしている。実父と同居し、家事の一部を担っている。自身の希望で週に一度受診。
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5大学卒業後について
Q.大学卒業後、就職をされたのでしょうか

「就職は、一応、コンピュータのソフトを組む財団法人があって、そこにSE(システムエンジニア)として入社したのです。あとから聞くと、入社試験ではすごく良い成績だったということですけども。その頃は文系でもどんどんSE、システムエンジニアになれた時代なので、今でもそうかもしれないですけども、ガーっと勉強するのです、初めの時に。

その研修を受けている時に、やはりまったく頭に入ってこなくて。それでいつも昼食は、そそくさと済ませて、あとはトイレにずっといるみたいな感じでしたね、やはり。そこは3か月ぐらいで辞めてしまったのですけども。でもなんか、ちゃんとボーナスももらったということがありますけど。だから、今、全然連絡は取っていないのですけども、研修の仕上げとして富士登山とかをやったみたいで、あとで1回だけ(同僚だった人に)会った時に、冗談で、同僚だった人に『あれが嫌だったからやめたんでしょ』とか言われたのですけども。

やめて、やはり人のために役に立ちたいというの(思い)があって、その1年後に、作業療法士の学校の試験を受けたのです。それで、筆記試験は通ったのですけども、面接で落とされてしまって。2校受けたのですけど、2校ともそういう感じで。あとロールシャッハ(インクのシミを見せて心理を探る検査)とかも受けて、やはりおかしな変な反応が出ているとかそういうことで……。でも今となっては、やはりその時(作業療法士に)なっていたら、もっと大変なことになっていたなという感じはあるのですけども。

でも、『なにか資格を取らなきゃ』みたいなの(思い)があって、司書の資格を取ってみたり、いろいろやっているのですけども。司書の資格とか取ってもやはり年齢が上がっているので、採用の場がないというか……。

それでどうしようかといろいろ探したら新聞広告に、それは前後するかもしれないのですけど、“店員募集”みたいな感じで、古本屋さんが店員を募集していたので、給料はあまり良くなかったのですけども、やはり好きな仕事ができるかなと思ってそこに勤めたら、そこが案外良くて4年ぐらい勤めたのですかね。ただ、ご主人が亡くなってしまって、店を在庫も全部売り払って、それでやめたのですけども。

そしたら、いろいろ仕事ぶりを見ていてくれたのか、その何軒か隣にある法律専門の古本屋さんだったのですけども、そこの人が、『うちに来ないか』と言ってくれて、そこで2年ぐらいやったのですけど、独立したいという意識が出てきて、それで実際、古本屋を出したのですね。だけど、それもやはり病気があるので、うまく経営していくことができなくて、半年ぐらいで店じまいをしてしまって。その後はいろいろ、作業所に通ったりデイケアに通ったり、そういうことをしながら、やっていたのです。

ある時……、山中康裕という精神科医がいるのですけども、その人の著書を読んで、『ヘルパーの人達がいなかったら私達はこんな精神科とか病院とかの仕事ができなかった』という(ような)ことが書いてあるのを見て、まあ単純に自分は、そのヘルパーになりたいかなぁなんて思ったりして。それで、いろんな人に相談したのですけども、ちょっと難しいのではないかみたいなことがあったのです。でも、今もかかっているクリニックのデイケアのスタッフの方が、『やってみたいなら受けるだけ受けてみれば?』と後押しをしてくださって、それで(ヘルパーの)資格を平成14年に取りました。

初めは、精神障害者に対するホームヘルプをやりたいと思ったのですけども、私の住んでいる自治体から、そういうものは全部、公的に雇われている人というか公務員の人がやる仕事だと言われて。じゃ、どうしようかと考えて、ま、それは楽なほうを取ったという感じなのかもしれないのですけども、自分の自治体内のそういうNPOとかのほうがいいのではないかと考えて、そういうところをいろいろ回りました。でも、『男、今、要らないんだよね』とか、そういう感じでした。

ただ、10年ぐらい勤めることになったNPOに入って介護の仕事をやっていて、その時に、いろんなことを覚えたというか。コンピュータにしてもそれまでまったくできなかったのが、少しは、書類の整理ぐらいはできるようになれたとか。ただそこで、とにかく長時間の勤務になってしまって、それはたまたまなのですけども、夜中も起きていなければならないとか、深夜とかもそういうふうになってしまって。やはりそこからおかしくなり始めたのかなと、今では思っていて、やめたのですけども、そこの法人は。

結局、終わりの2年か1年は、もうおかしかったのだなぁ。スカイプ(インターネット上のコミュニケーションツール)ってありますよね。あれで監視されてというか、撮られて、世界中に画像が流されているとか、そういうことを自分でも言っていたと思うのですけれども。」

Q.その後、介護の仕事はどうされましたか

「やはり勤めている最中も、やめたいという気持ちが起こった時もあって。自分の考えが、やはり衛生面とかそういうことに気をつけなければいけないのですけども、自分が結局そういうのがあまりよくできないので、人に迷惑をかけてしまうのではないかとの恐れが強くなって。代表というかトップの人に、『これちょっと人の生き死にに関わる問題だから、やめたいんです』というふうに言ったら、医療的な責任までは問われないからと言われて。それで、自分もやはりここでやめるよりは続けたほうがいいかなと思い直して、続けるようになったのです。

でも最後はやはりちょっと辛い状況が続いて、突然妄想がバーっと起こってきて。その時は、殺されるというイメージが強くなって、車がバーっと通ったりすると、それは『殺しに来たのではないか、これは逃げなきゃ』みたいな感じで、自宅に閉じこもりがちになって……。

今、思い出したのですけども、結構、弁護士の人に相談しに行ったり……。つけ狙われているとか、そういうことで。だから、弁護士の人もそういう人は結構慣れているのか、ちゃんと対応してくれて、話を聞いてくださって。中には、お金はいらないからと言ってくださる方もいらっしゃいました。」

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