「16歳の時に、体育の教師に暴力をふるわれて。同時にインフルエンザになっていたので、そのあと1週間眠れなくなって、錯乱状態に陥って、緊急に入院しました。それが始まりですね。あとから聞くと、意味不明とか、訳の分からないことを言っているのです。
体育の授業を見学していた時に、名簿に教師が印をつけるのに、私が21番で、23番の子が『23番何々です』と言ったのですね。そのあと私が『21番阿部です』と言ったのです。そしたら、(その教師が)『阿部、23と21どっちが若いと思ってるんだ』と言ったので、私が『どっちでも同じじゃないですか』と言ったら、激怒して。こんな細かいところに(気を)つけているのだと。つまり、23番の子が悪いはずなのに、21番の僕を怒って、ひっぱたいて、それで長さ30センチで3センチ角の角材で何度も頭を叩いて……。
それが終わって、食堂でご飯を食べていると鼻血が出てきたのですよね。3回に分けて、コップ半分くらい鼻血が出ました。その時はそれだけだったのですが、そのあとインフルエンザになっていたこともあって、どういう訳か1週間眠れなくなって。で、担任の教師と先輩が来てくれて、それで、叔父の紹介で(病院の)精神科に入院したのですね。
最初全然薬が効かなくて、保護室にも入れられたのですけど、アメリカから取り寄せた薬というのが、注射なのですけども、3回くらい打ったら劇的に効いて。そのあと飲み薬に切りかえて、良くなったのです。」
「入院は、2月の初め頃から3月の終わり頃で2か月くらいなのですけども、自宅療養を、高校2年の夏いっぱい、(合計)8か月から9か月くらい療養していましたね。家で普通に生活しながら薬を飲み続けましたね。」
「実は統合失調症と正確に言われたのは、だれからか憶えていないのですよ。最初の医師には、異常興奮という病名をつけられたのですね。まあ、全然興奮している状態だったからそうだとは思うのですが。それで、18(歳)ぐらいの時にほぼ寛解したのですけども。4年間、22(歳)までは正常というか病気が治まっていたのですけども。
それで、18(歳)の時ですけど、もう(薬を)飲まなくてもいいだろうと思って、行かなくなったのです、通院に。そのせいもあって4年後に再発したのかもしれないのですけど。(薬を)飲まなくても、18(歳)から22(歳)までは、何ともなかったのですけどもね。
22歳の時に、その頃マンションの4階、一番上なのですけど、住んでいて、冷房をつけなかったのですよね。で、暑さで眠れなくて、それで1週間眠れなくなってしまって、やはり錯乱して、再発したのですね。
再発した時は、錯乱する前に『これはちょっとおかしい』と思って、3日ぐらい眠れなかったので、精神科に行ったのですね。で、僕の話すことを聞いていて、先生が、『何をしてほしいんですか』と聞かれて、『いや、眠れないんです』と、『ああ、わかりました』と言われて……。」
「それからは、入退院を繰り返しましたね。全部で20回以上入院していると思いますよ。ただ、僕の場合、短い入院が多いのですよね。一番長かったので1年以上というのが1回だけありますけど、それ以外は短いですよね。僕、統合失調症よりも、特にここ数年は双極性感情障害のほうが大きいというかウエイトを占めていて、そちらのほうで入院しているのですよね。
明らかに統合失調症で入院したというのは、最初と再発した時と……、いや、分からないのだと思う。母と妹を殴ったというのも、ちょっと統合失調症という感じがするから、いつ統合失調症と知ったのかはちょっとよく分からないのですけど、自分でも。そうですね、統合失調症と双極性感情障害の両方あるというふうに自覚していますね、明らかに。
いつもそうなのですけど、眠れなくなる、あるいは短時間睡眠になって、1日に3、4時間とか、睡眠時間が非常に減った時に入院しているのですよね。
1回だけ、母と妹に暴力をふるってしまったことがあって、その時は、1年半近く入院したのです。つまり、社会的入院というか、受け皿がないから。母と妹が、(一緒に)住むのが嫌だった。それで、初めてアパートを借りて、1人で生活するようになったのですけどね。それからはずっと1人で暮らしていますけども。それは30(歳)ぐらいですかね。」