「最初の、今のクリニックの先生が、『ちょっと、アルバイトみたいなことしてみるか』というか、地活(地域活動支援センター)といって、クリニックの2階が、高齢者のショートステイがあるのですよね。そのショートステイのところを掃除する仕事があるからやってみないかと言われた時ですかね。時給は安いですけど、とりあえず就労する準備みたいな、クリニックの中でやれるから気が楽だったというか。
やりました。何か月かは。それがあったからボランティアにつながったというか。でもまあ、なかなか、自分の気分次第で行きづらい時もあるのですけど、ボランティア自体にも、波があって。行ける時と行けない時があって、でも行けば、『あ、良かった』と思うのですけど。
楽しいですね。今は昼から行くと一緒に歌を歌ったりゲームをしたりするのが多いから。だからそれも、ま、自分が歌うばかりがいいだろうという感じなのですけど。まあ、それもいいかな、いいですけどね。行けばいいのですけど、行くまでが大変というか、踏ん切りをつけるまでが。ちょっと前に言ったみたいに寝過ぎているから、朝起きれないから行きづらくなるというか。電話をかけて『今日休みます』とか。間が空くのですね。」
「看護師さんというよりも、デイケアのスタッフという感じかな、精神保健福祉士だとか作業療法士さんとかいろいろいるので、デイケアのスタッフにもいたかな。でもいちばんショックだったのは、いちばん信頼していたデイケアスタッフの人が辞めてしまうのですかね、6月いっぱい籍はあるのですけども、先月ぐらいで、デイケア、クリニック自体にもう来なくて。それがショックだった。結構なんでも言えたというか……。」
「でも、過ぎたことばかりだから、もう今はないですかね。もう気にしないようにするしかないですよね。たぶん病気だろうがなんだろうが、嫌なことを言う人はいるのだなぁと思って。」
「それこそ、この前の土曜日、統合失調症のピアサポーターの勉強会に出たのですけど、その時年金の話が出て。ああ、個人によって同じ2級でも額が違うんだとか、そういう情報を知れたことがですかね。2級だったらみんな同じだと思っていたのですけども、個人的にも違うということを知ったし……。」
「先生、結構なんでも話せましたね。いちばん最初、糖尿の時に入院して、亡くなった先生が歳も近かったので、結構なんでも話せたしね。その糖尿の、その前から精神的なことというか生活的なことも相談していたのです、その先生に、援護寮とかアパートに入っている時に。
もう、家には帰って来られないと親父が言っていたので、そうすると、その時、たまたま援護寮ができはじめの頃で、そういう所があるよと教えてもらって、病院の人から。ケースワーカー、たぶんそうだと思うけど。もう母親はそこにしか入れないよと言われて、家には入れられないから、親父がいる間はと言われて。で、援護寮に行って、援護寮の職員の人によくしてもらったり……。」
「いや、そういう人もいたけど、生活支援員みたいな人もいて、当時、食事も自分達で作っていたので、調理を教えてくれたり、決まった時に掃除する時にみんなで掃除したり、薬を飲んでいるかどうかチェックをしたり、そういうことも。
住んでいたのは、10人弱ぐらいかな。入院している時よりも、逆にあれですよね、当番があるから、あの人が当番やらないとか、そっちのほうがかえって、ま、仲も良くなるのですけど、逆(に)そういうこともあるというか。」
「今のクリニックはだいぶ感覚的には、初めて聞くようなことばかりなので、新しくていいと思いますけどね。新しいというか、(クリニック自体は)新しくないのだろうけど、知ったのが新しいことばかりなので。
『べてるの家』(北海道浦河町)のこととか、『こころの元気プラス』という雑誌がデイケア自体に置いてあるとか。前の病院だと、『こころの元気プラス』という雑誌があること自体知らなかったので。情報ですかね。ピアヘルパーとか、ピアサポーターとか。
いや、(ピアサポーターでは)いないですけど、ピアサポーターの勉強会があって。2週間にいっぺん、半日というか。ただ、今は輪読会といって、テキストを読み合う。SSTもあるし、楽しかったですね、ロールプレイが。当事者になったり、当事者をサポートする相手方役になったり。」