「僕は、統合失調症になる前から、小学生の初めぐらいから、何か、自分が健常ではないという意識はあったのです。ちょっと欠けている部分があるというか……。主にメンタルですね。なので、なるべくしてなったというか、割と自然に病気自体は受け入れられて。そのせいで、割と、何ていうか、病識もあるというのですかね、言い方としては。そうだったのですよ。
何かバランスが悪いというのですかね。たぶん今だったら、診断は受けていないですし、主治医にこのことを話したら、『ちょっとそれは考えないほうがいいんだろう』と言われたのですけど。まあ、発達障害とか、ちょっと……得意と不得意のギャップがすごくあったりとかはありましたね。
だから、勉強はすごく得意だったのですけど、掃除の時とかに、ゴミ箱にちりとりからゴミを入れるじゃないですか。それで、例えばそのゴミ箱に斜めに板が入っていて、ちりとりから入れるのに板の後ろから入れるとうまくいかない、そういうことが分からない子どもだったのです。だから同級生から、『堀合君ね、勉強できるのにちょっとバカなんじゃないの』というふうに言われ(笑)、まあまあ、そういう言い方はしないのですけど、そういうことでしたね。」
「母は、僕が不登校になった中学1年の時、あ、それよりもっと前ですね。弟が、僕より先に不登校になっているので、不登校の子を持つ親の集まりみたいなものに熱心に出かけていって。ま、そういう話はあまり僕にはしないのですけど、かなり勉強していたと思います。
あと、父がとても安定しているというか、しっかり母をサポートしていてくれましたから。僕と弟が二人とも不登校になっていて、ちょっと将来のこととか不安だったりするかと思うのですけど、その心配はしなくていいから、今は健康でいてくれれば未来があるはずだというふうに、長い目で温かい目で見てくれていましたから、母もその影響とかを受けて。ま、母は結構せっかちなところもあったりするのですけど、それで見守ってもらえていたと思います。」
「そうですね、一般にメディアに出ている情報は、僕はちょっとメディア音痴で、新聞・雑誌・テレビとかをほとんど見ないのです。あと、ネットの情報もそんなに信用していないので。ま、1つすごく大きかったのは、治療を始めた割と早い段階、本当に薬を飲み始めてすぐの頃だったと思うのですけど。父親が、薬の研究をしている仕事の関係で、僕が、父に精神科の薬のことについて、ちょっと不安や疑いを持っていて、薬が体に良くないのではないかとか話をしたのですね。そしたら、古い……、そんなに古くもないか、薬学の雑誌を一部貸してくれたのです。
その中に、すごくシンプルなマウスを使った精神安定剤の調査の論文があったのです。その精神安定剤を投与したマウスとそうでないマウスに、高い所にエサがあるような構造の中に、そのマウスを入れていたところ、精神安定剤を投与されたマウスは、高い所をものともせずに上がっていってエサを取った。精神安定剤を投与されなかったマウスは、高い所に行かなかったという結果が出ていたのですね。
それを見て、怖い物知らずになるぐらいの薬なのだなと思ったので、じゃ、これは自分にとって必要なものだから飲んでいいのだろうというふうに思いました。(父は)薬については専門家でしたから、そこは。」
「そこはありましたね、拒否感は。ただ、薬を飲まないようにしてしまうということはなかったですね。何か、薬を飲んだことによって、外に出て行く不安を和らげることができたという、その最初の体験が大きかったのだと思います。」