「18歳か19歳ぐらいの時ですね。治療開始前後の時期なのですけど、インスタントコーヒーをすごく濃くして飲むということを、衝動的に、時々やっていたことがあって。マグカップの底が見えないぐらいにインスタントコーヒーを入れて、お湯を入れて飲むのです。ま、ドロドロなのですけどね。
それを飲むと、カフェインを初めとしたいろんな物質が、精神作用物質がたくさん一気に入って、ちょっとハイな感じになるというか……。ま、それは、すぐに終わってめちゃくちゃ気持ちが悪くなるのですけど、そのあと。それで、そのあとの夜の気持ち悪さというか、それがすごく辛かったです。
単純な病気の辛さかどうかは分からないのですけど、物の色が違って見えたり、何か、体もちょっとおかしくなりかかったりしますし。自分が感じているめまいとかもひょっとしたら、分からないですけどね、つながりがあるかもしれないかなと思ったりもします。
それで、同じような時期に、家の中の家具を壊したりということも……。こちらのほうは強い不安を感じて、それに対して、ま、自分の中で自分を奮い立たせるような、ここね、恐怖感というか、押さえつけられる感じに抗(あらが)うような感じで、なんとかしようと思って、自分を鼓舞しようとするとエネルギーが振り切れて、わっと爆発というのですかね、出ることがあったりして。
そうしたことをすると、特に母親のほうは辛そうにしていますから。それが、直接、人に対して暴力を振るうことはなかったですけど、それは絶対やりたくないと思っていましたから。ただまあ家の中で、物を壊している人がいるというと、不穏な空気というか緊張感、家が何というか安心できるような場所ではなくなってしまいますよね。そこにいる人にとって。そういう緊張状態の中で、何ていうか、危機、ま、よくある映画の中で、家族とかカップルが危機に瀕するような、そういう緊張感を求めていたところもあったりして、僕の中で。
なので、それをきっかけに、お互い泣きながら話をしたりして理解につながるようなことがあったかもしれないのですけど。だからそこは、何ていうか、はっきりと白黒を付けられないというか。まあ、何年か経って、その状態のあとですね、治療を始めてから3年ぐらいの時に、ちょうど症状が安定してきたということもあったのですけど、そういう物を壊したりすることはもうやらないようにしようと決めました。だから、そこに至るまではちょっと辛い時期でした。
そこをテーマにして本も書いたりしたのですけども、当事者の仲間達と一緒に。単純にコントロールできないと言ってしまうと、ちょっと違うのかなと思うのです。打算的にやる部分もあって、家具を壊すにしても、何ていうか、本当に壊れると困るものは壊さなかったりするのですよ。だからパフォーマンス的なことがあるわけですね。
自分の辛さを分かって欲しい。ま、てっとり早いというか分かり易いのは、相手にも辛い思いをさせることで、辛い、何ていうか……、そうですね、辛さの連鎖みたいになってしまうのですけど。」
「自分が関わっている全ての人に支えられているという感じがします。誰か一人とか特定の人というのは、ちょっと自分には考えられないですね。自分も、社会の中の一人というか、自分一人……、そもそも、周りの人がみんないて自分があるというふうに感じています。
(そう思うのは)そうですね、デイケアの頃以降ですね。今働いているシャロームの家(作業所)には、いろんな障害のある人が通って来ていて、そこで社会ができている。多様性があるから、毎日面白いというふうに思えるようになってきたので、何ていったらいいか、つながった人達には感謝しています。」
「相互理解を助けるようなことがしたいと思います。異文化間とか、考えの違う人・集団の間の相互理解です。多文化交流とかですね。または、一緒に研究をやったり、学術的な交流なども……、漠然とですけど考えています。」