3仕事について
Q.発症当時はどのような仕事に就いていたのでしょうか
「自動車メーカーで、部品の設計の仕事をしていました。当時、日勤と夜勤を繰り返し、月の残業時間が60時間、夜勤が月の半分を占めていました。
入社して3~4年目、26歳の若さで労働組合の仕事を任されました。労働組合もこなし、土日は組合の会議に行きました。当時の自動車メーカーの年功序列の社会では異例の早さでしたが、出世への登竜門である労働組合の仕事は魅力もありました。今、考えてみれば、できない仕事は『できない!! 』と、はっきり断るべきでしたが、年功序列社会を僕らの世代で変えていきたい、そして、後輩たちの契約社員をなんとかして正社員にしてあげたいという責任感で引き受けました。
やがて土日は労働組合の会議、夜勤と残業は変わらず、2週間眠れず、ストレス性の胃腸炎と過呼吸で社内の病院(診療所)へ搬送されましたが、産業医と会話もできないほど僕の精神はすり減っていました。」
Q.病気により仕事はどうしましたか
「係長から仕事に来るように電話がありましたが、ケースワーカーが『今は、それどころではない。有給休暇をすべて消化して最低半年は欠勤させてください!』と、係長に伝えてくれました。
2年欠勤しましたが、休職中も給料は会社の規則の通りにいただいたので、なんとか生活ができました。結局、発病してから2年後に会社を辞めることになりました。」