がんと向き合う

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滝川雅行さん
(たきがわ・まさゆき)
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1958年大阪生まれ。製薬会社のMR(医薬情報担当者)だった1984年、突然下血。都立病院でステージ(病期)3の大腸がんと診断され、開腹手術で直腸切除術(肛門括約筋温存術)を受ける。その後25年間、再発、転移なし。家族は妻と娘、現在は妻と2人暮らし。
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1診断は1984年

「受診のきっかけは、朝食を食べているときの下血でした。おかしいなと思い、東京で私はMR(医薬情報担当者)をしていましたので、自分の知っている開業医にまず相談をして、即、大腸ファイバーをしてもらいました。そして病院で再受診をして、がんだとわかりました。

製薬会社で内科、外科の先生と常に仕事をしているので、別に検査自体は抵抗はなかったのですが、やはり検査を受けた結果は見ただけでわかりましたから。告知は全然受けていないですが、業界の人間としては“がん”とわかるだけにつらかったというのはあります。

インフォームド・コンセントも今のようにはないのですよね。でもとりあえず、前がんや大腸がんの文献を全部読みあさり、自分で知識をつけて自分で納得をして手術を受けました。」

●開腹手術を受ける

「がんは肛門から7〜8センチのところでした。今なら内視鏡手術ができるのでしょうが、その頃は内視鏡的処置はそれほど多くないですし、がん腫の形状がキノコ型は取りやすいのですが、先端が陥没しているような形状は開腹手術しかないということでやりました。その頃は今と違って温存療法はそれほどなく、少し病院の選択を間違ったら人工肛門ということにもなったので、その辺も自分の担当していた病院の先生と相談をして、一応温存療法をということでお願いをして、何とかそれをしていただけました。」

●ステージ3の進行性大腸がん

「幸い、転移はしていなかったのですが、リンパ節の郭清はしました。

ちょうど娘が生まれて半年ぐらい経ってからでした。当時、大腸がんのステージ3の治癒率は、転移をしていない場合70〜80%です。不安ですよね。でも自分が知っているその先生に委ねるしかなく、そこは選択肢がなかったですね。

病院で入院していて、本当に自分一人で『どうしよう・・・』と思い、トイレに行ったときに泣いたこともありました。『本当に死ぬのだろうか』と。家内以上に子供が不憫に思いますよね。まだ半年ぐらいの乳飲み子を置いて死ぬ自分というのを想像したりして。全部ひとりで背負って、入院しているときは精神的にはかなり辛かったですね。」

●タバコはすぐに止めた

「タバコを吸っていると肺機能が落ちるわけです。手術をして麻酔をかけ、麻酔をかけ終わってから肺機能がある程度正常でないと苦しいですよね。タバコを吸っていると痰が絡んで咳き込むし、特に腸を切ると、咳をしたときに響きますよね。そういうことで『煙草は止めたほうがいい』と手術前に先生の薦めもあって、すぐに止めました。

それまでは1日30〜40本を吸っていましたけど、背に腹はかえられないですよね。煙草を止められない方というのはいると言いますけど、背に腹はかえられなかったら煙草ぐらいはすぐに止められますよね。」