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滝川雅行さん
(たきがわ・まさゆき)
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1958年大阪生まれ。製薬会社のMR(医薬情報担当者)だった1984年、突然下血。都立病院でステージ(病期)3の大腸がんと診断され、開腹手術で直腸切除術(肛門括約筋温存術)を受ける。その後25年間、再発、転移なし。家族は妻と娘、現在は妻と2人暮らし。
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4会社に復帰

「(退院後は)営業に戻りました。でもやはり上司にいろいろと気を遣ってもらい、営業の内勤業務を1年間やりました。その1年後には外勤のMRにもう一度復帰しました。

退院してから何ヵ月かはかなり体重は落ちていますし、ずっと寝ていたので筋力もついてないですよね。3ヵ月〜半年ぐらいで体力は全然問題なくなりました。好きだったゴルフは、退院して半年ぐらいしてもうやりました。支障がないことはないですよ。やはり腸を切っているのでつっぱり感がありますよね。身体に馴染んでこないですが、段々違和感がなくなり体力も戻ってきたという感じです。」

●5年間は必死だった

「特に変わったことというのは、やはり日々『時間が大切だ』と感じるようになったことです。より以上に『時間を大切に』とか『前向きに』とか、自分の能力を開発して短期に結果や自分の質を上げるということにこだわるようになりました。時間を無駄にしたくないということで、英語を勉強してMBA(経営学修士)のコースに行ったり、ビジネス展開をしたりと、却って自分の能力を開発させるモチベーションにはなりました。

とにかく必死で、時間を無駄にせずに生活と家族を支えて、仕事を全うするというかたちで、少なくとも5年間は必死でした。必死でとにかく前に進むことだけを考えていましたね。余裕ないですよ、やはり5年経たないと。

家内もそうですけど、やはり子供ですよね。小さい子供を父親なしの子供にするとか、生活が苦しくなるというのは可哀相だというのがあるので、どこまで何ができるかわからないですが、『頑張ろう』という気持ちにさせたのはやはり子供の存在ではないですかね。

治療は治療である程度やっていかないといけないのですが、そういうのに落ち込んでも仕方がないですし、日々の仕事、日々の生活があるわけですよね。そういうものに引きずられるので、もう割り切ることが大切です。先ほども言いましたけど、自分は被害者だ、がん難民だと思うのであれば、自分の日々の活動をどう前向きに充実させるかということに考え方を変えたほうが多分、ストレスが少ないです。また仕事の質が上がっていくことによってポジションが上がっていきましたし、僕の場合、外資系だったので、アメリカに行ったりヨーロッパに行ったり、世界の先生方と仕事ができたりということで、仕事というのはやはり可能性が今よりも(広がったほうが)面白いじゃないですか。そういうところに関心を持って行ったほうが多分、病気というのもよくなるのかなと思います。」

●保険で助かる

「民間の生命保険にも入っていましたけれど、それ以上にやはり助かったのはその当時、会社の人事が斡旋する所得補償保険というものでした。所得保障保険に入っていたので、正確な数字は分からないですが、それが毎月のお給料の70〜80%ぐらいの給料をずっとくれていました。また休職しても健康保険組合が3ヵ月は面倒見てくれるので、製薬会社もその時はまだ環境がかなりよかったので、それ以後もまた3ヵ月は健康保険組合の基金のほうで見てくれたので、半年以上は何らかの所得は、保険でもらいました。」