「経営をしていますので、保険にいくつも入っていました。2つ3つ解約する前に1回病院で検査したほうがいいと思って、それと前にちょっと痔みたいなのが出たことがあり、検査も長いことしていないので丁度よいと思い、病院に行きました。
検査は近所でも結構大きめの総合病院で受けました。年齢も46歳なので、『どうせだったら内視鏡でも診ときましょうか』と言われて、最初から大腸内視鏡検査の予約をとり、次の日に検査をすることになりました。
次の日に病院に行きました。内視鏡を大腸にずーっと入れていくのですが、あれは内視鏡を引いていくときに診ていくのですね。最初、小さい2ミリぐらいのプツっとしたもの(ポリープ)が2つくらいあったのですが、それは内視鏡の先に出てくる輪っかの針金(スネア)でぷちゅっととりました。あとはもう(モニターをみながら)『きれいやな〜』と思っていたのですが、最後出口のへんで、何かウツボみたいな色のグレーのものが出てきて。先生がそこでカメラを行ったり来たりさせていて、これは何かな・・と思っていると、『ちょっと細胞をとってみますね』ととりました。『いちおうこれは何か腫瘍ですね』とそのときに教えてもらったのですが、良性か悪性かというのは『10日ぐらいしてから返事をします』ということで、その日は帰りました。
結果を聞くまで、もう誰にも言わなかったのです。心配をかけたらいけないと思って。それで10日後というお話だったのですが、2日後に病院から電話があり、『明日か、近いうちに来てください』ということだったので、そのときにもう『これはヤバイなぁ・・』と思いました。きっと何かよくない答えだろうなという感じでした。
次の日に病院に行きました。そのときもまだ家族には言わずに、違うことを願って。人間てなるべく悪いほうにとらないようにするもんやな、と思いながら行きました。それでダイレクトに先生に『悪性ですか?』と聞いたのです。そうしたら『そうですね』という感じでした。そのときはちょっとショックでした、やっぱり。2日ぐらい、ショックで落ち込んでいましたね。
これまで結構、一生懸命やってきたので、何のために一生懸命やってきたのかなとか、何のために今まで生きてきたのかなとか、そういう絶望的なことばっかり考えるのです。2日ぐらいたつと、ちょっとこう受け入れ始めるのでしょうね。それまでは本当に今まで頑張ってきたことが全部否定されるみたいな感じでした。」
「家族がショックを受けるやろうな・・と自分の中で思うじゃないですか。高1の娘がいるのですが、それを伝えたらショックなんやろうな・・とか。自分も母親ががんで亡くなっていまして、そのときにやっぱり家族としてショックやったというのがありましたので、自分のほうは少なくとも『大丈夫だよ』って言えないと駄目というのが湧いてきて、どこかで“大丈夫”を探し始めたという感じです。
探し始めると、本当に早期だったしとか、切ったら治るのかなとか、いろんなことを自分で調べ出したという感じです。そのときは先生からステージの話もまだされていなくて、自分ががんだというのがわかっただけで、レベルがあるということも知らないので、自分はどれぐらいのところなのだろうと思いました。その辺は先生に『早期なので大丈夫ですよ』とひとこと言って欲しかったなと今になって思いますね。そのときは腫瘍の大きさだけを聞いたので、自分でインターネットで調べて、『それぐらいやったら、大丈夫なんかなぁ』と思いました。
がんとわかった日に実は手術する日も決まったのです。2週間後にもう切除しましょうということで、帰ってきました。それを家族に話さないといけなくなり、次の日に話しました。家族はやっぱりびっくりしていました。それで案の定というか、僕が家族を『大丈夫、大丈夫』と言って慰めました。」
「自分ではずっと痔と思っていました。ちょっと便に血が付いていたりしたことはたまにあったので。20年くらい前に病院に行ったときに、痔と言われたことがあり、これはもうずっと『痔やな・・』と思っていました。たぶん痔だったのだと思いますけど。がんになってからは気づいてなかったです。本当にたまたま早期で検査できてよかったな・・という感じです、今は。」