日本オストミー協会の支援状況 (3月23日現在)
「3月21日の祭日も、とにかくずっと電話が鳴りっぱなしでした。それを日本オストミー協会の各支部に伝達して、ストーマ装具の販売店に依頼をするという状況でした。 」
「被害がどの程度かという情報をつかむために、各県の支部長にまず連絡をとったというのが第1段階です。宮城県などなかなか電話が通じず(状況が)わからなかったのですが、今週に入って皆に連絡がつき、状況を把握してそれから装具の交付になりました。当然、各販売店で持っている装具は徐々に出て行きました。
日本ストーマ用品協会と日本オストミー協会(JOA)との事前の協約で、災害救助法が発動された場合、『1ヵ月間はストーマ装具を無償交付する』というのがありました。それが発動されてこういう形になり、先週ようやくトラックが郡山、仙台、盛岡に装具を満載して行って分割したということです。」
「(搬送した装具は)2600名分ぐらいです。今週も行きますから、それだけ見れば少しはよいかと思うけれど、現実には装具のない人もだいぶいるだろうと思います。
われわれは装具がないと生活ができないのです。ですからたとえ1枚でも2枚でも、あればとりあえずはしのげます。先週行った便は1週間分程度、つまり(1人)2〜3枚ずつが広く配布されていると思います。しかし1週間経つともうモノがないということになるので、今日が水曜日ですから、今週中にもう1回トラックを仕立てて持って行こうと思っています。
場所によってですが、太平洋側は家が流されて、何も持たずに逃げられているわけですから、そういう人たちをどうサポートできるかが問題になっています。早々にはなかなか太平洋側まで装具を持って行けるという状況ではなかったので、まずは病院等に届けるという形で少しずつサポートができていたというか、その程度しかできなかったです。」
「(人工肛門の)専門看護師が言っておられたのですが、私(が人工肛門になったの)は平成3年で、その頃には装具はもう世の中にありましたけど、その前の世代の人たちは装具というのは何もなく、『ガーゼを輪にして油紙で包むか、あるいはビニールを置いてお腹にあてる、大人のオムツみたいな形』だったそうです。また、装具ができた頃も非常ににおいがしていました。しかしもし装具がなければそうでもせざるを得ないということになります。自分のにおいが他に影響するというのは自分自身も嫌だし、周りも嫌がるでしょうから、オストメイトだけの小部屋があればそこで取り替えられるのでしょうが。」
「日本全体がとにかく思ってもみなかった災害でした。しかしなんとか乗り越えて、元気になっていただきたいと思います。行政の建物も流される、学校も病院も家も流されるという状況ですから、命が助かっただけでも・・・というような状況での逃げ方だったと思います。(日本オストミー協会としては)やはりこれを基調に、行政での装具の備蓄、あるいは装具の保管場所を設定してわれわれが管理するということをもっと進めていかなければいけないと思っています。」