統合失調症と向き合う

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中村 ユキさん
中村 ユキさん
(なかむら・ゆき)
漫画家。ユキさんが4歳のときにお母さんが精神科を受診。約30年にわたる統合失調症のお母さんとの悲喜こもごもの生活を明るくユーモアたっぷりに描いたコミックエッセイ「わが家の母はビョーキです」(サンマーク出版)を2008年11月に出版。現在、59歳になるお母さんと夫(介護福祉士)との3人暮らし。お母さんの統合失調症再発予防の取り組みについて描いた「わが家の母はビョーキです2:家族の絆 編」が2010年5月に、思春期向けの「うちの子に限って!?(宮田雄吾共著)」(学研)が9月に発行。近著に「マンガでわかる!統合失調症」がある。
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31995年―急性症状が治まらず再入院

「(私が)21歳のときに、いつもだったら2、3日ですごい急変症状が治まっていたんですけど、それが治まらなかったときがあって。薬を飲ませても何をやっても、もう包丁もったりして暴れたりとか、あとは自殺企図、洗剤を飲もうとしたりタバコを食べちゃったり、そういうことがどうしても治らなくて。私も3日我慢すれば治まるかなと思っていたのに、1週間ぐらい続いたんですね。それで私も寝ていませんので、今回は待っても無駄だなというので、初めて病院に連れて行ったら、そのおかしな状態の母を見てお医者様がびっくりしたというか、こんな状況だったの、想像していなかったですって。

本人は普通にお話ができる状況じゃなかったので、そのまま、(その)先生が外来で行っている精神科の入院できる病院を紹介してくださいまして、(その病院に)行ったら直ぐに入院手続きをしてくださって、母を入院させて帰るっていうことになりました。

そのときは3か月入院しました。で、1回また仕事に復帰しようかなあなんて言ったりもしていたんですけど、あんまり調子が良くなかったので、もうこのまま仕事に戻るのは難しいだろうということで、どうしようかなあと悩んでいるときに、母の姉妹から仕事を手伝ってほしいから来ないか、一緒に暮らさないかっていう声が入ったので、ちょっと静養にでも行ってくるかという感じで、おばに(母を)託すことになったんです。」

●母をおばに託したあと

「急激に悪くなりました。(おばは)病気のことを知らないので説明していても、やっぱり分からないじゃないですか、頭の中と実際(の状況)というのは。だから、おばにとっては、これ病気なのっていう感じで、母の豹変というか変わる病状に対応できなくて、精神的にすごく大変だったみたいです。で、怖くて逃げてしまう状況になっちゃったんですね。でも、それはしかたないかなと思いました。『しばらくすると落ち着くので、お薬飲ませて休ませてあげて、で、おばさんもどうしてもしんどかったらちょっと席を外していたらいいから、大丈夫かなと思うぐらいに戻ってもらえる?』っていうような感じではお願いしていたんですけど。あれよあれよと具合が悪くなって、次に連絡が入ったのが、措置入院したよという話だったんですよ。

正直、おばさんに預けて良かったとは思っているんですね。それはなぜかというと、もし私が母を支え続けていたら、絶対措置入院させていなかったと思うんですよ。それは私、命がけでたぶん押さえ込んで、(母を)外に出さないと思います。で、措置入院という制度があることもそのとき初めて知りましたし。それから、刃物を振り回したりということがあったので、私に何かがあったり、誰かに何かがあってもやっぱり警察沙汰になるじゃないですか。そのあとどうなるのかというのが、刑務所行くの?ぐらいしか想像がなかったんですね。だからそれだけは阻止しなくてはいけないと、ずーっと思っていました。母のことで警察に連絡するとかお世話になるということは最悪の状況だとずっと想像していたので、措置入院になったと聞いてほっとしたんですけど、なんでこんなことに、と直後は思いました。やっぱり人に預けちゃったからこんなことになったんだなって、少し恥かしくも思いましたし。なんか複雑ですね。」

措置入院:すぐに入院させなければ、精神障害のために自身を傷つけ、または他人を害するおそれがあると精神保健指定医2名が判断した場合、都道府県知事または政令指定都市市長の命令により、入院させることができる制度。措置入院ができる病院は、「国立精神病院」、「都道府県立精神病院」または「指定病院」である必要がある。

●措置入院を終えて

「8か月の措置入院のあと、措置入院解除の知らせという書類が届きました。そのときに措置入院しなくていいよということはもう退院してもいいよということではあったんでしょうけど、家族のほうの受け入れ態勢ができていなかったんですね。それで、ちょっと家でみて一緒にいれないということで、母に『今戻ってきてもらうと困るんだけど』という話をしたら、『じゃあもう少し入院してるよ』と言ってくれたので、医療保護入院に切り替えて、それから2年3か月入院することになりました。

(病院では)服薬治療と病院内でのリハビリ、デイケアみたいなものを受けていたと思うんですけど。そのとき私、ほとんど母に会いに行かなかったんですよ。だから今思うとすごくかわいそうですよね。それは母が嫌だとか恥ずかしくて病院に行きたくないというのではなくて、自分の生活が充実しすぎていて、面倒くさくて行けなかった、そんな感じでした。」

医療保護入院:精神障害者で、入院を要すると精神保健指定医によって診断された場合、精神科病院の管理者は本人の同意がなくても、保護者の同意により、精神科病院に入院させることができる制度。
デイケア:地域の保健所や精神保健福祉センター、医療機関などで、レクリエーション療法や芸術療法、SST(社会生活技能訓練)などを中心に行われる。

●母の気持ち

「今は(母は自分の病気を)恥ずかしかったんだなって思います。病気を隠していたりという話を聞いたので。でもそれまでは本人がそんなにショックだとか自分のことを恥ずかしく思っているとか、まったく考えもしていなかったですね。そこまで母の気持ちを考える余裕がなかったですね。自分がたいへんだというのが一番にきていて。」

●2000年―ふたたび母と同居

「(私が)23、24歳ぐらいだと思います。措置入院から医療保護入院に切り替わって(しばらくして)、お医者さまからもう元気だから病院出たらいいのではないのかという連絡があったときに、私は、ああ、この楽な生活が終わっちゃうんだって、ものすごくショックだったんですね、がっかりしたんですよ、喜ぶところなんですけど。でもお医者さんに一度来てくださいって言われて病院に行ったら、(母が)すごく元気そうだったので、じゃあ大丈夫だと思って、そのまま退院という手続きになったんです。ただ、すごく太っていて別人になっていたのは、また違うショックでしたけど。

んー、いよいよ来たかとは思いましたけど、でももう私しかいないので覚悟はいつもあったので、また一緒の生活が始まるんだなって。あんまりものすごく考えすぎもしませんでしたけど、まあちょっと淋しいな自由がなくなって、というぐらいでしたね。」

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