統合失調症と向き合う

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原田幾世さん
原田幾世さん
(はらだ いくよ)
1973年生まれの38歳(収録時)。31歳の時に入院治療を受ける。病名は統合失調感情障害。3回の入院を経験し、現在は、同じ精神障害をもつ夫、夫の母と3人で暮らしている。ピアサポートセンター(就労継続支援B型事業所)で生活支援員として勤務中。
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5病気への思いについて
Q.病名は変わりましたか

「書類を書いていただいた時に、病名が“統合失調感情障害”に変わっていたんですね。それがついたのはたぶん4年以上前だと思います。

特に病名を見て感じるというよりも、『この病気は一体どういうものなんだろう』という疑問のほうが先にありましたね。統合失調症は、入院をしていて、周りにそういう方がいらっしゃるので分かるんです。うつ病も分かるんですけど、“統合失調感情障害”という病名のついた人が周りにいなかったので、これはどういうのだろうという疑問はありましたね。

そうですね。『どういう病気なんですか、どういうあれ(理由)で、この診断がついたんですか』というのは、先生に伺いました。統合失調症の症状も妄想はなかったんですけど、幻聴と幻視というのがあったのと、他の精神疾患で、私の場合はどちらかというと、統合失調症の症状より“うつ”の症状のほうが強かったので、そういう病名がつきましたというふうに(医師から)説明を受けました。」

Q.病気への思い

「最初に発症した当時、自分ではやっぱり、それまでしていた仕事が、デパートのテナントで食料品売り場だったんですけれども、やっぱり気になって現場に行ってみるんですけど、実家でやっている商売だったので、母がいて、私は『手伝う』と言ったんですけど、やっぱりもう、ほんとじゃないんですよね。歩くのもままならないような状態で行っているので。『今日はやめておいたほうがいいんじゃない、気持ちはうれしいけど』と言われて…。そういうふうに言ってくれたことに関して、あとからやっぱり、ああそうか、やっぱり他の人が見てそう思うんだから、そうしたほうがいいだろうというの(思い)はあったんですけど、なんか『社会にもう戻れないんじゃないかな』という感覚が、その時はすごくあって、それで焦りがあって職場に行ったというのもあるんですけど。

で、ほんと3年ぐらいかけて、気持ちが少しずつ切り替わってきたかなというのはありましたね。なんか“取り残されている感”というか、そういうのはありました。で、今でも、一応週5日は勤務していますが、やっぱり体調がおもわしくなくて休むこともあるんですね。でも、今は、それに関しては、自分で休む選択をしたことを、『あ、今日は疲れていたし、体もいうこときかなかったし、休んで明日に備えるという選択をした自分を良かった』と思えるようになっています。」

Q.症状が安定してきたと思えたのはいつ頃で、その理由は?

「最初の入院の時に、看護師さんや主治医からいろんなアドバイスをいただいていたというのは、すごく大きくて…。

『0%か100%か』という言葉を聞かれたことはありますか?自分の中ではマイナス200ぐらいの感覚で、やれる時はもう完璧を求めて、自分のやれること以上のことをやろうとする。で、やれない時はとことん落ち込むという、2つに1つだったのが、やっぱり『60%の力でやるのがいいよ』ということを、主治医にも看護師さんにも教わってきたんですね。60%という加減はすごく難しかったんですけど、それを心がけて、時間をかけて。で、焦りも最初はいろいろありましたけど、でも焦りがなくなってきた時に、なんかすごく楽になって、いろんなものが前に進んで、一気に進んでいったという感じがあって…。」

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