「仙台に帰ってきました。親が見に来て、これのままじゃダメだからということで入院させられまして、4〜5か月入院しました。6年とかそれぐらい前になります。形的には一応自分からですけど、やっぱり家族の希望というか、半ば任意みたいな感じでの入院でした。」
「(薬以外に)作業療法をやりましたね。作業療法は好きで、手芸みたいなことをやったり、ゲームやトランプをやったり、音楽を聴いたり…、そのプログラムのある時は楽しみにして参加しました。
(入院期間は)4〜5か月ですね。うーん…先生が辞めて、先生が変わってしまったんですね。それでまた薬の好きな先生になって、薬をどんどんどんどん出してきて飲めないぐらい…、トロトロになってしまったんですね。
(薬は)10何種類出ていました。薬ももう飽きたなあとか思いまして、寝る前もこれだけ飲まないと眠れないしなあとか、困ったなあとか思って、退院しても、何するわけもなく…。」
「その数年、3年ぐらい入院していました。ずっとです、今行っている病院に。既に(入院は)3回目ですね。3回、4回やって(入院して)いますので。
通院はしていたんですけど、ほんと薬をもらいに行くだけだったんですね。良くはならなかったですね。あのう、担当の先生がいなくなってしまって、ほったらかしになってしまったんですね。近くで働く、事務の仕事をするということになったんですけど、それもやっぱり3、4日ぐらいしか持たなくて…。『入院しないと治らない』とか、私、もうそれしか選択肢がないんですね、入院しか。薬以外だと。入院したら、作業療法も毎日そこから行けばすぐですからね、隣の棟のところまで歩けるので。作業療法をして、コツコツとやっていました。
退院したいと思ったんですけど、『まだ早い、早い』と。今の主治医に変わったんですけど、『早いよ、まだ大丈夫だから』とずっと言われて、3年ぐらいいましたね。
入院していても、先生が回診(に)こないんですよね。診ないというか、あんまり顔を出さなかったんですよ。薬を飲んで、ひたすら退屈な毎日。もう作業療法は飽きてしまいまして、なんかぼうっとしているしかないなあとか、『どうなるんだろう、これから』とか、漠然と考えていました。
3つぐらい病棟があったんですけど、その1つ、私がいた病棟が閉鎖してしまうということで、その時整理しましょうかということで、私、退院できたんです。退院する時に、“躁うつ”じゃなくて、“(統合)失調症”だと診断(を)受けたんです。
(自分でそうかな)と思っていました。『私、(統合)失調症なのお』とか言っている女の子を見ていて、あ、俺もなんかそういうのにちょっと似ているなあとか思ったりしていたので、(統合)失調症と言われたらすんなりと受け入れました。」
「東京での一人暮らしを除いてはずっと実家です。私、趣味で音楽をやることが好きなので、ギターで弾き語りとかをしていました。自分の家で。
私、バンドメンバーを募集したんですね、バンドをやりたくて。楽器屋さんとかの壁に貼ってあるんですけど、『メンバー募集』とか書いて、そのメンバー募集と書いたのに応募してきたのが、今の作業所に来ているメンバーさんだったんです。
で、世間話をしていたら、『なんか似てるね』と、お互い気になっているんですよね。(病気を)隠していたんですけど、なんか似ているんじゃないかなあとか思って、『いや実は』と話したら、『いや、俺もこうなんだよぉ』という話になって、『じゃあ、私が今、行っている作業所に遊びに来てみればぁ』ということで、今の作業所にお世話になることになったんです。それは2年ぐらい前です。すごく感謝しておりますね。」