統合失調症と向き合う

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鎌田 至さん
鎌田 至さん
(かまた いたる)
1971年(昭和46年)生まれの40歳(収録時)。大学生の時から他人の自分への評価がとても気になっていた。大学卒業後、就職する。以前から持つ症状に胸の苦しさなどが加わり、内科を受診するが異常なしの診断。20代後半、たまたま目にした冊子を読み、自分の症状と照らし合わせて精神科を受診する。その後、退職する。数回の入院を体験。何度か就職、退職を繰り返し、現在は、作業所の仕事として週5回勤務。会社の一般事務や老人デイサービスでのベッドメイキング、居室清掃に従事している。
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10東日本大震災について
Q.3月11日の大震災の時はどこで何をしていましたか

「今の作業所にいまして、パソコンの中で遊んでいたんですね、ネットサーフィンをしていて。なんか気のせいか揺れているんじゃない?とか話していたら、もうガタガタガターという揺れになって、これは大変だとなって、帰り(の)避難口は確保しなきゃいけないとか…、30年前の宮城県沖地震からずっと言われていたので、2階にあるんですけど今の作業所、ドアを開けて、(避難口を)確保しに行こうと思って下に行ったんですね。

下で、児童のデイサービスをうちの作業所でやっているんですけど、児童のデイサービスで子ども達が出られなくなったら大変ですから、そこの窓、ドアをずっと持っていたら、もう立っていられなくて。今考えるとすごかったなあと思うのが、立っていられなかったんですね、しばらく。1分・2分・3分と続くような…。で、子ども達も、うわーってこう(混乱状態に)なったりして、女性のスタッフとかも取り乱しているような感じだったので、それをまあ落ち着かせて。あと建物から出るようにということで、みんなで手分けしてやっていました。」

Q.揺れが収まったあとは?

(家に)歩いて帰りました。バスじゃなく。バスは、もうぎゅうぎゅう詰めになって、止めるにも止められないみたいな感じでしたので、歩いて家まで帰って、一応家の両親とかに被害は大丈夫かというのを確認して。で、作業所のメンバーで連絡のつかない人がいるかもしれないと思ったので、それから1回家に帰ってから、また作業所のほうに、どうなったのかなあと見に行ったんですけど。

大きな被害は、中身ぐしゃぐしゃになったぐらいで、家も何も被害はなく。(作業所の開始は)いつだったかな…、1週間ぐらいしてからですかね。

ガス(の復旧)は約1か月ですね。水は、案外と早かったです。2〜3日できたんですね、水と電気は。ガスがやっぱりしんどかったですね。老人ホームみたいな所は、ガスが2か月近くこなくて、そういうサービスができないということで、ボランティアで行っていた人がいたようですけど、私らはちょっと遠くて行けなかったんですね。」

Q.薬の確保は大丈夫でしたか

「通院日のあとに地震(が)きたので、私の場合、1か月ぐらいしのげたんですね。(通院は)1か月に1回です。

1週間ぐらいストックがあったんですけど、1週間・2週間はやっぱりちょっとストックしておかなきゃなぁとか思いましたね。」

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