「今の作業所にいまして、パソコンの中で遊んでいたんですね、ネットサーフィンをしていて。なんか気のせいか揺れているんじゃない?とか話していたら、もうガタガタガターという揺れになって、これは大変だとなって、帰り(の)避難口は確保しなきゃいけないとか…、30年前の宮城県沖地震からずっと言われていたので、2階にあるんですけど今の作業所、ドアを開けて、(避難口を)確保しに行こうと思って下に行ったんですね。
下で、児童のデイサービスをうちの作業所でやっているんですけど、児童のデイサービスで子ども達が出られなくなったら大変ですから、そこの窓、ドアをずっと持っていたら、もう立っていられなくて。今考えるとすごかったなあと思うのが、立っていられなかったんですね、しばらく。1分・2分・3分と続くような…。で、子ども達も、うわーってこう(混乱状態に)なったりして、女性のスタッフとかも取り乱しているような感じだったので、それをまあ落ち着かせて。あと建物から出るようにということで、みんなで手分けしてやっていました。」
(家に)歩いて帰りました。バスじゃなく。バスは、もうぎゅうぎゅう詰めになって、止めるにも止められないみたいな感じでしたので、歩いて家まで帰って、一応家の両親とかに被害は大丈夫かというのを確認して。で、作業所のメンバーで連絡のつかない人がいるかもしれないと思ったので、それから1回家に帰ってから、また作業所のほうに、どうなったのかなあと見に行ったんですけど。
大きな被害は、中身ぐしゃぐしゃになったぐらいで、家も何も被害はなく。(作業所の開始は)いつだったかな…、1週間ぐらいしてからですかね。
ガス(の復旧)は約1か月ですね。水は、案外と早かったです。2〜3日できたんですね、水と電気は。ガスがやっぱりしんどかったですね。老人ホームみたいな所は、ガスが2か月近くこなくて、そういうサービスができないということで、ボランティアで行っていた人がいたようですけど、私らはちょっと遠くて行けなかったんですね。」
「通院日のあとに地震(が)きたので、私の場合、1か月ぐらいしのげたんですね。(通院は)1か月に1回です。
1週間ぐらいストックがあったんですけど、1週間・2週間はやっぱりちょっとストックしておかなきゃなぁとか思いましたね。」