統合失調症と向き合う

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堀 澄清さん
堀 澄清さん
(ほり すみきよ)
1937年生まれ、75歳。18歳で精神科を受診し、その後、10回の入院を経験する。自分の病気を知るために様々な書物を読んだという。現在は、社会福祉サービスを上手に利用しながら一人暮らしをしており、隣の家には女性の友達がいて、穏やかな日々を送っている。
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218歳:精神科受診について
Q.精神科を受診するまでの経緯を教えてください

「18歳の時に、北海道から大学のために上京してきたんですね。在学、一学期中の夏休みに入る前に、なんて言うか自分でおかしくなって、病気だとは思いませんでしたけど、『調子が悪いなあ』という意識は非常にありました。

僕が北海道にいた時は、隣といっても100m以上も離れているところに住んでいましたから、騒音というのがまったくないわけですね。自然の音だけ。風の音、こずえの音…、そういうものしかないわけですよ。ところが上京して下宿に入りましたら、非常に朝早くから南妙法蓮華経という声が聞こえるわけですね。最初のほうはちゃんとそういうふうに聞こえていたんですが、そのうちに、僕のことを見張っていて、相談している声に聞こえるようになってきました。

はっきりしたことは忘れてしまいましたけれども、夏休み中だったと思いますが、あるいは夏休みに入る直前か、交番のお巡りさんが職務尋問に下宿に来たんですね。それをきっかけに完全に周りの人が僕を見張っていて相談しているというふうに確信するようになったんですよ。警察にもつけ狙われていると。それで下宿のおばさんにも、『病院に行ったほうがいい』と言われて…。

夏休み中にも、すでに夢に下宿の人間が相談しているような状況が現れて、真夜中に恐怖で叫び声をあげてしまうというか、それで下宿の人から非常に文句を言われる。だから一緒に食事をすることができないわけですね、顔合わせて。

それで10月に受診しました。今から考えると、幻聴と妄想ですよね、大雑把に言うと。当時はそういうことは分かりませんでしたけれど。それで、大学病院の精神科に、下宿のおばさんにも勧められたし自分でも調子が悪いなあという意識があって受診しました。これが18歳の10月ですね。で、翌年の春まで半年、桃色の粉薬を2週間に1回だと思いましたけど、飲みましたが状態がどんどん悪くなって、どんなにがんばっても東京の生活は不可能だということで北海道に帰って、N病院の精神科で自分から診察を受けました。そしたら、その時に入院ということになってしまいました。

入院は、そこが1回目です。東京の病院は入院ではなくて通院のみでした。」

Q.入院中はどのような治療を受けたか憶えていますか

「入院して数か月して、インシュリンショック療法というのを受けましたね。そこは閉鎖病棟だったので、自分にとっては悪いことをしていないのに閉鎖病棟に入れられて非常に不本意だったので、それが、自殺衝動になって。で、完全に自殺衝動は消えてあきらめ、無気力状態になるまでに2年ぐらいかかったように思いますね。(病院には)全部で3年と6か月いました。

で、退院の時、入院中に病気の説明はひと言も医者からも看護師さんからも、55年前ですが、一切受けていません。薬を与えられて飲むだけ。古い人はみなさん日本全国ほとんど共通だと思うのですが、食後の薬の飲まされ方は、一列に並んで、看護師さんの前に行ってコップに水を受けとって、看護師さんの前に行って、天井を向いて口を開けるわけね。そこに薬をぽんと入れられて飲む。こういうやり方にものすごく自尊心を傷つけられて、なんて言うか、自殺衝動に至った非常に大きな理由ですね。悪いことをしたわけでもないのに、一切外に出ることはできない。

で、6時に起床で、10分以内ぐらいに看護師が回ってきて検温と小水と大便の回数と睡眠時間を報告して、それで終わるわけです。インシュリンショック療法以外は、あとは背中から脳に空気を入れる“気脳撮影”を受けました。これがもう大変苦しい。気脳撮影、脳の写真を撮るのにそういう方法しかなくて…。で、多くの人がそれを受けていましたので、僕もあれをやられると思った時は恐怖でしたね。だけどほんとに苦しかったです。

僕は、なんら先の一切の助言がありませんでしたから、病院で死ぬんじゃないかというふうに(思い)、それなども無気力になった大きな理由でしたね。自殺は、21時に消灯して、10分か15分ぐらいで看護師の回診があって、その次は時計がないからはっきり分からないんですけど0時前後に回ってくると思うんですけど、それまでは回って来ませんから、死のうと思って、起き上がって準備をしているわけですよ。その時に看護師が回ってきて、注射だとか、場合によったら睡眠剤、粉薬の睡眠剤だったように思いますけど、注射ではない時は。で、翌朝主治医のところに呼ばれて、主治医に説教されるんですよ。『馬鹿なことをするもんじゃない』と。これがますます絶望感に拍車をかけて…。こちらの気持ちをまったく汲んでくれないわけですよ、説教ですから。そういう処遇だったものですから。」

インシュリンショック療法:糖の取り込みを促進するインスリンを大量に投与して、人為的に低血糖ショック状態を引き起こすことによって、統合失調症(の興奮状態)を治療する方法。一時は広く採用されたが、リスクが高く現在では行われていない。

Q.退院が決まったのはいつですか

「自分でもあきらめていたら、おそらく数日前に退院というふうに言われたと思いますけど。

症状は、1年半ぐらいで治まったと思います。幻聴も妄想もですね。あとは、看護師や、半年か1年ぐらいで入院した時のお医者さんが変わって、そのあとに来たお医者さんが非常に僕達から見て、立派なお医者さんでしたね。札幌で開業したと言われていましたけど、そこの病院を辞めたあとに。その人が、2人目として(主治医になった)。1年弱ぐらいあるいは半年前後ぐらいで、その人に変わったのだったかは分かりませんけど、その2人目の人からは基本的に説教されたことはありませんね。だから、割合症状が治まってから穏やかだったんですけど。病気の説明は、退院の時に薬は死ぬまで飲まなければいけないという一言で、(それ以外は)まったく受けていません。」

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