「18歳の時です。症状が、はっきりと出る前の兆候みたいなものがあったのですけれども。その時のサインは、たぶん不眠とか、物音に敏感になったり、多弁で口数がかなり増えて、頭の回転も、自分でも『速いな、速くなってきているな』みたいな自覚はありましたね。
それから、今思うと性格も急変していて、やたら積極的になって自信過剰になっていた気がします。そういうことが、今、振り返ると兆候というかサインだったのかなという気がします。
その後2か月ぐらいくすぶっていた時に、急に自分の中で臨界点みたいなものを超えたのか、急に妄想が爆発して、近所の人が盗聴しているのではないかとか…、そこから急にきましたね。それで、なんて言うか自分の妄想の中で、なのですけれども、精神科に行って自分の気が狂っているということにすれば、盗聴されていたりすることから解放されたり助けてもらえるのではないかと思って、自分の完全に頭の中でだけの話なのですけど、自分を盗聴してるとか、そういう妄想に対してのアピールのために精神科を受診するという行動に出たのです。
でも、それがあとで振り返ってみると、結果的に早期発見になったので、まあ不幸中の幸いという感じでしたかね。」
「その時は、ちょっと自分で歩いて行けるような感じではなかったので、両親に車を運転してもらって、緊急病院、夜間の外来をやっている最寄りのところに行きました。大学病院で精神科もついているという感じですね。」
「結構鮮明に憶えていますね。たぶん人生で1〜2番ぐらいに怖い、自分の中での。普通に考えていたら、ただ精神科を普通の人が受診しているだけだったと思うのですけど、やはり私の言っていることが、もう意味不明だったので、先生も当然の処置だと思うのですけど、『少しゆっくり休むように』ということで、鎮静剤を注射で投与されたのです。でも私には、それがもう毒薬みたいに思えてしまって…。それで急に意識もなくなっていくので、『あ、これでもう死んだんだな』というふうに思ったのだけれど、結局、あとあと聞いたら、そのまま寝てしまって、家に帰って来て目が覚めた(と)。親が車で運んでくれたので…。
それで、本来だったらそこが入院のタイミングだったのかなと、今、振り返ると思うのですが、『悪いこともしていないのに、いきなり入院はちょっとひどいんじゃないか』みたいなことを親と医師、主治医とが少し議論したみたいなことは、おぼろげに聞いているのです。私は詳しいことは知らないのですけど。
それで、結局、入院せずにいたら、やっぱりどんどん悪くなっていって…。それで、これは本当に残念な話なのですけど、ちょっと(近隣と)トラブルを起こしてしまって強制入院(措置入院)になってしまいました。」
措置入院:すぐに入院させなければ、精神障害のために自身を傷つけ、または他人を害するおそれがあると精神保健指定医2名が判断した場合、都道府県知事または政令指定都市市長の命令により、入院させることができる制度。精神保健福祉法によって定められた。措置入院ができる病院は、「国立病院」、「都道府県立病院」または「指定病院」である必要がある。
「何もなかったですね。私、自分の飲んでいる薬の名前も何も知らなかったので…。それが今から12年とか前なので、たぶん今の精神病院の1つも2つも前の時代の話なのではないかなという気がしますね。
『入院する・しない』というのは、たぶん私ではなく、父や母と話をしていて、私はただ注射(を)打たれてそのまま待合室で、ずっと待っていたという感じですね。」
「私、その頃、精神科に関する知識がまったくなかったので、私としては別に飲む必要もないと思っていたのですけど、両親が、『先生が出したのだから飲みなさい』ということで、一応、別に、特にそんなに強い副作用も感じなくて飲んでいました。
あとあと、安定した時に主治医に聞いたら、『それだけ激しい症状が出ていてもあまり後遺症が残らなかったのは、割と早い段階でそういう薬を少量でも飲んでいたことが大きかったのではないか』と言われて…。それで今、あまり症状を感じることがないので、あの時飲んでおいて、結果的には良かったのかなと思っています。」
「妄想状態だったので、私が精神科に行くと言ったら、親が、じゃどこだろう?あそこじゃない?そこじゃない?みたいな感じで、電話で問い合わせて、適当なところに行ったという感じです。それで(そこは)強制入院になった病院とは、また違う病院です。」