「入院はその強制入院の時が、合わせて半年で、それでもう1回が入院に入るかどうかが微妙なのですけれども、ちょっと自暴自棄になってしまった時に、過剰服薬をしてしまって、その時に集中治療室にたぶん1泊2日ぐらいしたので、それをカウントすると2回です。」
「とりあえずその時の自分の症状がひどすぎたので、最初は治療にならないというか、保護室に連れて行かれてしまって…。それで、ちょっと具合も悪いし、圧迫感もすごいしで、すごくきつかったですね。
保護室(から)出られるようになっても自分の妄想の症状で、関東大震災が必ず今夜来るのではないかみたいな。それが私の判断能力を低下させるすごく大きな症状の一つだったのですけれども、それが怖くて、まあ落ち着かないし眠れないしみたいな感じで…。
それで、基本は服薬して、食事して穏やかに過ごすという感じだったのですが、とりあえずやることもないですし、誰も相手にしてくれないし…。入院中の友達とかは、いるにはいたのですけれども。
その時はまだやっぱり、治療は開始していたのですけれども、全然病識もなかったですし、症状もそのまま残っていたので、薬の効果もあまり感じずに治療をしていました。」
「3か月ぐらいですね。ずっと波が高い状態のまま3か月が来て、1度先生が、『この人は病気ではないのではないか、ボーダーラインの人なのではないか』と思って、1か月半ぐらいの時に薬がほぼゼロになった時期がありました。その時は、なんとか精神的にギリギリのところで持ち堪えているというか、もうほぼ崩れかかっているのですけど、なんとかなってはいたのですけれども。
また鎮静剤を打たれた時に、急にやっぱり症状がぶり返して…、それで薬をちゃんと、抗精神病薬だったと…、薬の名前を知らされていないので分からないのですけど、薬の量が徐々に増えていって。過鎮静の状態ではあったと思うのですけど、3か月ぐらいしたら落ち着いて。ほぼ寝っぱなしの状態にはなってしまったのですけど、落ち着いたということで措置解除になりました。」
「保護室から閉鎖病棟で、個室もあったのですけど、お金がそんなになかったので、6人1部屋みたいなところ。今はベッドの病院がほとんどだと思うのですけど、当時、畳に布団を敷いて、ちょっと衛生面はイマイチだったかなあと思います。
私の場合は、揉め事を起こしやすそうだったのか知らないのですけど、院庭にしか出る権利がなくて。とにかくやることがなかったのと、18歳だったので、タバコを吸えなかったので余計、それは治療者として当然だと思うのですけど、そのストレスもあって…。
でも入院中に同じ病気の人などと知り合えて、世間話をしたりしたのは、割といい思い出です。」
「今もその資料が懐かしくて手元に置いてあるのですけど。SSTと服薬教室みたいな、ほんと形だけなのですけど。新人の看護師さん、実習中の看護師さんなどに話しかけられて、『こういうのがあるのでやらない?』と若い子に声をかけられてうれしいみたいな感じで行ったら、なんの情報も与えられなかったので、特に…、全然役には立たなかったような気がします。
あとは、割と看護師などが患者の世話をしてくれる病院だったので、そこでコミュニケーションを取りながら徐々に軌道修正をしてくれていった感じでしたね。この時も、地震、震災が怖いとか関東大震災が怖いとかの妄想はだいぶ減っていたのですけど、『自分は偉いんじゃないか』とか、『退院したら、何でも自分の思い通りになるのではないか』という妄想があったので、希望があったので、元気は元気なのですけど、普通の人の元気とはまたちょっと違う元気でしたね。」
SST(Social Skills Training):「生活技能訓練」または「社会生活技能訓練」と訳され、認知行動療法に基づいたリハビリテーション技法。社会で生活していくために、対人関係を良好に維持する技能を身につけ、自信を回復し(QOLを高める)、ストレス対処や問題解決ができるスキルを習得(再発防止)する目的がある。