「初めにおかしいなぁと思ったのが、小学校5年生の時。学級崩壊があって、先生が3回変わったり、副担任の先生からすごいいじめを受けていたのですよね。学校中でなぜか私だけ集中的にいじめられていて。それでメニエール病になってしまって、耳が聞こえなくなってしまったのですよね。
そこからだんだん精神的におかしかったのですけど、私、自分に負けるのがすごく嫌で、病気に負けるのがすごく嫌だったので頑張って学校に行っていたら、どんどんどんどんおかしくなってしまって……。
中学校の時も結構、いじめとは分からないですけど、なんて言うのだろ、バカにされているというか、みんなから偏見みたいなものを受けていて。それも自分の中でおかしかったのですけど。先生からも結構バカにされていて。ちょっとびっくりしたのが、太宰治の『人間失格』を読んでいたら、先生に『お前が人間失格だよ』と言われてしまって。『え、何で?』みたいな、ちょっとびっくりして……、そんなこともありました。
それで、なんでみんなは私のことをこんなにバカにするのだろうみたいな……。ま、ちょっとおちゃらけたところがあったのですけど。自分はちょっとおどおどしているところがあって。自分が不細工で、なんだろう、自分に自信がなかったから、自分をカバーするために、バカっぽい演技をすることがあったのですよね。それがみんなには楽しいらしくて、すごく突ついてきて、で、どんどんどんどん蓄積していってしまって……。
それがとうとう16歳の高校生の時に、夏休みの前ですかね、6月です。6月に生理があったのですよね、月経が。月経があって『おかしいなぁ』と思って保健室に行ったら、そこから動けなくなってしまって。それがターニングポイントというか。
それでそこから動けなくなってしまって、なぜか体が一切動かない。頭も何を考えているか分からない。その時、軽音楽部に入っていたのですけど、バンドのライブ、文化祭のライブで、自分はすごくやる気満々で、『よし!ここで挽回してやろう、ここで元気出してやろう』と思って臨んだら、機材の調整をミスってしまって、音が全く出なくて。それで、もう絶望の淵に追いやられてしまって、もう恥ずかしくて。そこから学校も行けなくなってしまって、学校を退学してしまって……。
症状は、幻聴・幻覚、あとは……なんだろう、被害妄想、あとは一切目が開かないので、ずっと寝たきり。トイレにも行けない、お風呂にも入れない。で、母親が、カロリーメイトとかリンゴとかを剥いて口に入れてくれて。そんな生活がずっと続いていました。」
「私から『受診したい』と言ったらしいのですけど、全く憶えていないのですよ。16歳の時に、9月ぐらいですかね、心療内科に行きたいと言って、(K)病院に行ったのですけど。
そこに行って、私、初めに言われた病名が解離性同一障害。自分が、男なのか女なのか、子どもなのか、分からなくなってしまって、コロコロコロコロ自分が変わってしまったのですよね。それで、まず、そういう病名がつきました。
あと、自分もそこの病院の治療があまり気に入らなかったというか、だんだんだんだん『なんか違うんじゃないか』と思うようになって、それから、病院を変えて。大きい精神科(病院)ですね。
で、17歳の時に統合失調症という名前がつきましたね。先生から『あなたは統合失調症ですね』と言われて。その時に、お薬……、あの時にもらったのがリスパダールでそれを飲んだら、ガラッと頭の中が変わって、今まで全く頭の中に何も入らなかったものが、一気にスッと出て(入って)きて、『あ、お薬ってすごい』みたいな。そこから、お薬を飲まないと全く動けなくなってしまって、やはりお薬の力はすごいなぁと思いました。」
リスパダール(リスペリドン):非定型抗精神病薬
「そうですね、まあ、『頑張ってこうね』みたいな感じですね。『ガッツで乗り切っていこう』みたいな感じで……。今、精神科は2つかかっていて、(私の)出身が長野なのですけど、長野のほうですごく良い精神科のお医者さんに出逢っていて、そちらのほうで診断書とかを書いていただいているのですよね。
あと、自立支援とか(障害者)手帳の手続きとかをそちらのほうで書いていただいていて、今の病院はお薬をもらっているだけ。話を聞いていただけないのですよね、なぜか。だから、1年に1回くらい、長野に戻って、そのお医者さんに話を聞いていただいて、(処方箋を)書いていただいてという感じですね。」
「病院はいくつか変えました。線維筋痛症と強直性脊椎炎があるので、その病気も一緒に診られる病院があると言われたのですよ。で、いろいろ回ったのですけど、その時に私ちょうど解離性同一性障害もひどく出ていて、そちらの治療もしたかったのですよね。そしたら、いろんな病院に、『あなたの病状はちょっと重すぎるからうちでは診られない』と言われてしまって。結局、今の病院にたどり着いたのですけど。
結局、解離性同一障害とか多重人格の辺りは、もう自分でなんとか、なんだろ、恋人と一緒に解決したというか……。今は、結構落ち着いています。
強直性脊椎炎は難病指定されていますね。線維筋痛症は前に、有名になった人でレディー・ガガさんが(公表して)、あれでかなり有名になりましたよね。
もう動けない時はのたうち回っていました。昔1回だけ、のたうち回っていて、もう泣き叫んでいて、『痛い痛い、どうしよう』と泣いていたら、恋人が、『もう、どうしたらいいか分からない』と言って、絶対泣かないような恋人が一緒に泣き出してしまって……。もうそれぐらいひどいです。
(治療は)痛み止めですね。昔は、痛み止めはかなり強いステロイド剤を飲んでいたのですけど、ちょっと副作用がひどくてやめてしまって。あとはいろんな痛み止めを飲んでいたのですけど、体重が10キロ太ってしまって。それだったらできるだけ多い量(一錠のグラムが多い)で小さい薬を飲みたいということで。
線維筋痛症は、たしか22(歳)か21(歳)辺りの時に、(強直性脊椎炎も)同時に診断されました。」
線維筋痛症:全身に慢性的な痛みが起こり、軽度の痛みから激しい痛みの時もある。
強直性脊椎炎:脊椎や骨盤の炎症が主体となる原因不明のリウマチ性疾患。脊椎周辺、すなわち腰背部、殿部、項部、時に股関節や膝関節の疼痛、全身のこわばりや倦怠感、発熱などが主な症状で、病状が進むにつれて次第に脊椎や関節の動きが悪くなる。
「同じですね。線維筋痛症のほうも、いろんな病院を回ったのですけど、結局、今いる病院が、なぜか、精神病の人もたくさん来るらしいのですよ。だから、精神病の相談とかもできる線維筋痛症のお医者さんで、すごくちゃんとお話を聞いていただいて。(医者の専門は)泌尿器科なのですけど、線維筋痛症の名医なのですよね。
いろんな病院を転々として、紹介してあげるからここに行ってごらんみたいな感じで。たしか今の病院に着くまでに、5つぐらい回りましたね。今の病院は抜け出せませんね。」