統合失調症と向き合う

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田中早紀さん
田中早紀さん
(たなか さき)
1985年(昭和60年)生まれの33歳(収録時)。16歳で体調を崩し受診し、17歳の時に統合失調症と診断される。現在はB型事業所に通所していて、将来的には当事者活動を行いたいと思っている。同じ病の夫と双子の男児との4人暮らし。
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8いちばん辛かった時
Q.今まででいちばん辛かったのは?

「発病当時がいちばん、主に辛く感じました。やはり、まだ知らないという不安感というか。まだ幻聴とか妄想とかがあった時期なので、いちばん自分にとって苦しかったというか……。

(幻聴や妄想が)なぜか、というのが分かってからは安心はありましたけど、それからはまた別の大変さもありますね、やはり。病気とつき合っていく大変さといいますか。それも何回か大量内服をしてしまったりしているのですよ。急に絶望感とかになったり、(この)先、漠然とした見えない未来に対しての不安感が大きかったですね。

(大量内服の経験は)3〜4回です。そのたびに入院ですね、だいたい。それ(入院期間)は、2週間とか3週間で、1日・2日だったのは、妊娠中の1回のみでした。」

Q.あなたのこころの支えになっているのは何ですか

「家族ですかね。家族や理解者だったり、ここ(事業所)の方だったり。人とのつながりが、やはり支えですね。ここの職員の方がよく助言してくださるのですよ、いろいろ。私を理解してくれるというか。

私がSOSを出して、話を聞いてくれることが主にあります。でも、SOSを出せるまでに、時間かかるのですけど。今まで、波が激しかった時は、何て言うのですかね、声に出せない自分がいたのですよ。それで早く出さないものだから、入院までに至ってしまったりするのですけど。

訓練というか、いろんな方に巡り会うというか、訪問看護を受けたり、ここのスタッフの人と話すことによって自分の気持ちが早く言えるようになって、悪い時に。(それは)ここ最近、この1年ぐらいだと思うのですけど。難しかったですね、人に言うということが。

よく、『(気持ちを)出していいんだよ』と言ってくれていたのですけど、タイミングも難しいですし、ほんとに言っていいのかなぁとか、自分の中で自己解決してしまおうと思う自分がいたりしてですね。

そうですね、人との出会いというのは大きいと思うのですけど、まあ、支えになったもので。やはり悪い時は、悪いままなのです。なかなか這い上がれないのですけど、少しずつ話せるようになってから、人に頼るというか、人に話を聞いてもらってその人から、『そうだな、そうだな』と聞いてくれることになるのですけど、そういう、人に聞いてもらうということが、すごく大きかったです。

この作業所のスタッフの人がいちばん大きいのですよ、たぶん私の中でちょっと変わったということが……。運転免許を取るきっかけもその方だったのですよ。訪問看護のスタッフの方から前の事業所を紹介してもらい。ここはその相談支援センターのあれ(関連)だから、見学につれていってもらって。」

Q.役立ったサポートは?

「1つは、旦那との出会いも、ここのスタッフの方に仲人ではないのですけど、そんな感じで……。何て言うのですかね、最初に職員の方に、『ここって連絡先とかを交換していいんですか』と言ったのですよ。(そし)たら、『いいんです』と言って連れて来てもらって、交換してもらったとか。そういうきっかけになる方でした、その職員さんがですね。

あとは、運転免許もそうですけど、私がしたいこととかを話していたら、研修にも誘ってくれて。ここで、例えば『研修があるけん行ってみない?』とか、『ピアサポートフォーラムがあるから行ってみない』とか言ってくれて、それで、『行きまーす』とか言ったりしたのですけど。それはいいきっかけというか。やりたいことの実現に向かって、一緒に導いてくれるというか、そういう方です。

(運転免許は)『まあ取ってみたら?』みたいな感じで言ってくれたので、病院の先生にも話して。母と一緒に行って、その時に、『いいんじゃないですかねぇ』と言われて。それまで諦めていて、ずっと先生からもダメと言われていたのですよ。免許は取ったらダメと。でもそれをちょっと経って勧められて。で、言ってみたら、『どうですかね、お母さん』と言われて、母も『いいんじゃないですか』と言って、それでOKになって。」

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