統合失調症と向き合う

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丸子慎平さん
丸子慎平さん
(まるこ しんぺい)
1970年(昭和45年)生まれの47歳(収録時)。20代後半、アメリカの大学に留学中に発症し入院。その後、日本に戻り、精神科を受診する。現在は就労継続支援B型事業所でさまざまな業務に携わっている。
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2発症時の状況
Q.何歳の時にどのような症状が出たのでしょうか

「遅くしてアメリカに行きました、28歳で。発病時期は1999年の10月としております。10月31日のハロウィンの時に病院に入院する感じで……。

僕、日本の大学に行っていたのですけども、やはり、入ったはいいけど目的を失って結局パチンコとバイトばっかりして、学校に行けなくなって。結局、自分の子どもの頃から興味のある映画を勉強しに単身渡米しました。

初めの頃は語学学校とかコミュニティカレッジで、2年制は結構成績優秀で卒業できたのですけども、4年制の大学に編入して、語学のハンディもありましたけども、映画の学部でしたけども、人間とは何か、生きるとは何か、人生とかは何かとかをいろいろ問われまして、結構部屋にこもってそういう課題とかをやっていて……。だんだん大学にもついていけなくなったのもありますし、だんだん閉じこもり気味になって、発病するということになりました。

症状としては、テレビを見ていた時に、テレビの司会者が直接自分に話しかけてくる感覚とか、もちろんCMとか雑誌を見ていたら、何か特別なメッセージを送っているのではないかとか、そういう感覚。幻聴という意味では、他の人の声ではないのですけども、自分の言葉が自分の中で増幅するような、何か『こうすれ、こうすれ』みたいな声が聞こえてきて……。

僕は、病院に連れていかれたというか……、(僕が)近隣のアパートの住民のドアをノックして、救急車を呼ばれたかパトカーを呼ばれたか、そういうことによって、病院に直接連れていかれたということになりました。周りの入院している人を見て、病院服みたいものを着ていますので、ここは明らかに病院だなと思いました。

ちょっと面白いエピソードとしては、僕、2回アメリカの総合病院に入院していまして。フロアが人種別に分かれていたみたいな感じがしました。1回目の時はアフリカ系の人のフロアに入院で、2回目はアジア系のフロアに入院しました。

総合病院で、精神(科)のフロアだったと思います。閉鎖病棟的で、外には出られなかったと思いますし、完全にそんな状況でした。」

Q.アメリカの病院での受診で印象に残っていることは?

「これが(入院)1回につき2週間ぐらいですね。ちょくちょくワーカーの人が来ました。何を心配していたかというと、僕に支払能力があるかということを心配していました。もちろん僕は留学生だったので保険には入っていたのですけども。

手元に資料を持っていませんし、僕の体調も悪いので、『君には支払能力があるのか』と。(当時)僕はカリフォルニアにいたのですけども、カルフォルニアはこういうメディカルというかそういうシステムがあるから治療費のことは心配しないと言っていたのですけども、結局、自分の保険証を見せることがなかったので、最終的にはタクシーに乗って、アパートに追い返されるような経験をしました。

(1回につき)2週間で2回入院したのですけども、医療費を請求されたのが300万円ぐらいですかね。それは保険でカバー。自宅に電話して、うちは払えないけど、保険会社は払おうと思わなかったのですね。でも『弁護士を呼ぶ』とか言ったら、保険会社が折れて、きちんと出してくれました。」

Q.アメリカの病院ではどのような治療を受けたのでしょうか

「治療という意味では、僕がどういう状況にあるか自分で判断できませんでしたし、服薬、注射とか投薬をされて落ち着いたということはありました。でも、その後やはり、(病気を)なかなか受け入れる、受容ということができませんよね。なので、また服薬しないで、再度入院ということになりました。」

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