統合失調症と向き合う

体験者の声 医療者・支援者の声 家族の声 私たちの活動紹介 イベント おしらせ
丸子慎平さん
丸子慎平さん
(まるこ しんぺい)
1970年(昭和45年)生まれの47歳(収録時)。20代後半、アメリカの大学に留学中に発症し入院。その後、日本に戻り、精神科を受診する。現在は就労継続支援B型事業所でさまざまな業務に携わっている。
movieImage
<< 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  >>
3アメリカの病院の退院後
Q.アメリカの大学には復帰したのでしょうか

「大学4年制は退学しました。2年制は一応卒業できたのですけども、4年制は、たとえ薬を飲んでいても復学は無理かなというか……。やはり、統合(失調症)で陽性(症状)のところまでいって、ちょっと落ち着いてもやはり元気はないですよね。そこまでのエネルギーがなかったので、結局、逃げるように(日本に)帰ってきたような感じがします。

また日本でもう1回入院することになりまして……。外来で(治療に)行っていたのですけども、やはり服薬がなかなか……、やはりまだ病気を受け入れられないということで、(服薬を)しなくて。結局、自宅にいても、結構夜とか夜中とか車ですぐ出かけて、ゲームセンターに行ったりパチンコしたり、そういう感じで、結局フラフラして、家にも帰らないでいるところで保護されたみたいな感じでした。

交番で保護されたのですけども、父親と母親が迎えに行って、その時に、1回入院させなくてはいけないなということで、緊急(救急)病院の、ちょっと中心部から離れている病院ですけども、そこに4か月入院することになりました。

初めのうちはその緊急で入院した所にお世話になって外来に行ったりしたのですけども。『自分がなんでこんなとこにいるんだよ』とか、先生が持っている薬でも『なにその薬』みたいな、そういうちょっと疑いの感覚で治療を受けていたかもしれないです。」

Q.帰国後、入院した時の治療は?

「これも薬ですね。僕も結構、何て言うのですか、薬さえ結構飲んでいれば、割かし元気になるということは分かっていたので、服薬ですかねやはり。

OT(作業療法)のゲームみたいなものをやっていたような気がしますけども、僕としては何か物足りないというか意味が分からないみたいな、そういう感じでした。

これからの経過を話しますと、病院から退院してきたのですけども、父親とか……、父親は亡くなりましたけども、やはり心配するじゃないですか。息子が、そんな病院でどうなるんだという状況で。区役所に行ったら、精神科のデイケアがあるということで、そこに取りあえず見学でも行かないかという話になりました。

見ましたけど、デイケアはやはり、医療の機関ですけども、何て言うか、今まで結構アメリカで頑張ってきたり、自分で無理をしていろいろやってきた身としては、ああいうぬるい空間というのですか、それを受け入れるのはなかなか難しかったですね。

デイケアは当時すごく人気がありまして、入るまでに結構待ち時間とかありました。その間、近くの作業所に行けと言われたのですけども、そこに行ったらお祭りのために焼鳥の串に肉を刺すとか、石けんを作るとか、病気云々より、そういう環境というか境遇に落ちた自分がいちばんショックでした。」

デイケア:地域の保健所や精神保健福祉センター、医療機関などで、個人別の評価と働きかけ、およびレクリエーションやSST(社会生活技能訓練)などのグループワークを組み合わせることで、社会復帰の足がかりとする取り組み。

Q.デイケアではどのようなことを行ったのでしょうか

「(デイケアには)10年以上通っていました。これと言って、何をしているわけではないのですけども、初めのうちは体力作りみたいな感じでスポーツ大会、バレーとかソフトボールとかに仲間から誘われたりして、大会に出て、結構優勝したり、そういう経験が大きかったです。

あとプログラム的には英会話クラブとかバトミントン同好会とか……。僕、バトミントンを高校の時にやっていたので、そういうことから結構自分の得意なこと、強みから、グループの中でリーダーシップを取れたり、結構言葉が出るようになったということが大きいですね。

主張できるというのが大きくて。結構アメリカでの学生時代、ま、健常者時代と言いますか、そういう時はあまり自分の心情なり言葉というものを持っていなかったのですけども、病気をして、何て言うのですかね、弱い自分も受け入れるというか、そういう状態からいろいろ言葉が出てきたような気がします。」

Q.その後、気持ちに変化はありましたか

「デイケア時代から、ちょっと受容の傾向はありました。何が大きかったかなと思いますと、やはり仲間というか、同じような病気の人がいて……、まあ、そういうことですかね。たぶん、例えば専門職とかと自分だけだったらあまり……受容も時間がかかるというか、やはりピアの存在みたいものが大きいのではないかなと、僕的には思いますね。

たぶん、日本の病院を退院してから、直、事業所(に通所)でもうまくいかなかったと思うので、徐々にということで、何て言うのですかね、リハビリの時期ということも、もちろんあったと思います。」

Q.その後、入院は?

「(日本では)2000年に入院したのではないですか(ね)。(それ以降の入院は)していないですよ、幸運なことに。病院の中で(自分に)合う薬を調合してもらったのと、服薬の習慣がついてから、それ以降とても安定しています。あと無理をしない生活もしていますけど、特に入院することはしていないです。」

<< 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  >>