「先生とお話があるということで2人ぐらいの先生の体制で、いろいろ会話はしましたよ。何か、そういう心を探るような、本当に体調が悪い時に英語しゃべれていたのかなというのは疑問なのですけども、まあ退院できていますから、たぶん会話は成立していたと思うのですけど。
(日本と)あまり変わらないような。いやどちらにしてもアメリカ1回の入院で2週間ぐらいでしたし。保険……、ワーカーの人は来たけど、全然すべなく逃げていったみたいな……。」
「日本の病院、4か月入院したのですけども、そこで看護師の人が、喫煙所で、僕が映画が好きだということを察したら、『現在外ではこういう映画やってるよ』とか、そういうことを教えてくれたり……。
あと、そこのナースはなぜか知らないけど、すごい年配の、定年退職したようなおばちゃんばっかりの人だったのですけども、そういう人が人生観みたいな、『たいしたことねーよ』みたいな……。何て言うか、『人生なるようになる』みたいな、そういうことを教えてくれて。常に、何ていうかのですかね、職からくる高圧的な態度ではなくて、対等な感じでしゃべってくれたのがとても心に残っています。」
「情報云々ではなくて、やはり元気なピアの人を見ると、勇気づけられるということではないですかね。それがあるから、みんなでそう持ち上げていくというか。そういうことがピアの、特にこれといった専門知識とかそんな(の)は必要ではなくて、ただ元気にいる人がたまに集まったり、それだけで結構、なんですか治療効果みたいものがあるのではないかなぁと思いますけど、リカバリーするのに。
自分の病気を受け入れるということも難しいですけど、他の同じような人を受け入れるということもなかなか難しい面もありますよね、やはり。君と俺は違うみたいな、そういう気持ちもどこかにあるわけでありまして……。だからまあ、何ですかね、ちょっと難しい話ですけど、まあ、優しい話ばかりではなくて冷たい側面ももちろん持っていますよ、やはり。」