「何しろ食べたら責任をもたなきゃならない。(直腸がなくなって)便が溜まるところがないから、ストレートに出てしまうのです。便の話なんてもう本当に汚い話で言ってはいけないような気持ちでいたのですが、お通じがとにかく全然しまりがなく、だめだったのです。もう『こんなんでどうなっちゃうのか』と思って、とにかく毎日一日中お手洗いにいたのです。立てば出てしまう、ちょっと歩けば出てしまう。お腹も空くから食べると、食べたと同時に出てしまう。
『どうしてこんなに・・・』と思って先生にいろいろ話すと、『直腸がないというのはそういうことだけど、とりあえず月日が解決しますから』と言うだけで、『何かいい方法はありますか?』と聞いても、『そんなことより、あなたはがんの細胞をまだ調べているのだから、そのほうが大事で、直腸がないくらいのことはそんなに重きを置くようなことでもない』というような、先生の感じだったのです。『オムツをはめていればいいし、使い捨てのオムツでも何でもあるのだから』と言われました。
でも先生がおっしゃるように、1年ぐらいするとなにかだんだんと調節できたり我慢できたりするようになり、一日中トイレにいなくても我慢できる間隔が長くなってきました。自分もある程度元気になってくると、表にも行きたいし外に食べにも行きたいしで、お手洗いがどこにあり、どこのお手洗いはきれいだというのもわかるようになり、外出も自分からできるようになったのです。その1年間、直腸がたいへんだったことは先生にもずっと言っていたのですが、それに対していい治療法は教えていただかなかったので、『これを食べたい。これを食べたらあとは責任をもって、お手洗い行くのはこういうふうにしよう』と、自分でいろいろ経験してわかりました。」
「歩行マシン機を買ったのですね。先生に『腸は歩かないと働きがよくならないから、とにかく歩きなさい。薬はないけどあなたは歩きなさい』と言われて。『歩きなさいと言っても、お手洗いが満足でないのに歩けるわけがありません』と言うと、『そんなことない、歩いている間に気が紛れて、いいですよ』と言うから、マシン機を買ってうちでバッタバッタ、やっていました。先生にそう言うと、『家で、マシン機で歩けとは言っていない』と。『外の空気を吸いながら、外で歩くのが腸のためにも脳のためにも、あなたの体のためにいいんですよ。マシン機で歩いたって何にもならないよ』と言われたのです。そのくらい歩くのも大事だということでした。簡単なことですよね。自分の病気を治すために歩くこと、散歩することは、お金がかからないでできることじゃないですか。」
「自分の腸に話しかけたりしました。『もうちょっと私の言うことを聞いて・・・』とか、お手洗いのなかで本当に腸にいつでも話していたのです。泣けてしまうぐらい手術をしてお通じがうまくいかないので『なんでこんなにあなた言うこと聞いてくれないの?もう、私こんなの我慢できない。もっと私の言うこと聞いて頂戴ね、聞いて頂戴・・・』と本当にお手洗いで腸に声をかけていたのです。そのくらい、腸がないと、お手洗いがつらいということ。それとお手洗いがつらいということは、ごはんをおいしく食べたいのに、食べたらその責任をもたなくてはならないということです。
あのときのことを今思うと、『こんなに元気になるのなら、もうちょっと長い目で、そんなに悩まないでいればよかった・・・』と思うのですけど、でも手術をして1年間のお通じのつらさは本当にたいへんでした。」
「上の子はもう子供もいるので、あまり私の病気に対して手伝いはできないのですが、真ん中の子は自分を犠牲にして私のために全部やってくれました。私のお手洗いがつらいときも、嫌な顔ひとつしないで。食事をしていても私はすぐにお手洗いに行くので、身につけるものもつけていない状態で、パンツを履いていると降ろすまで我慢ができないので、いつも腰巻きのようなものを巻いていました。食べるほうも、がんになったとき腸にいいという料理の本を何冊か買ってきて、いろいろしてくれました。そのくらい真ん中の子は私のことを心配して全てやってくれました。紙オムツや紙パンツも皆買ってきて、それを捨てるときも全部処理してくれたり、本当に嫌な顔しないでさりげなくやってくれました。私も便がそれほどまでになるというのが本当にみっともないし、自分が惨めだしというときに、さりげなくいろいろしてくれたその娘には、本当に頭が上がらなかったです。すごく嬉しかったです。」