「僕は闘病記を集める仕事を15年ぐらいやってきました。きっかけがうちの女房が乳がんで転移して44歳で亡くなっちゃったことです。(女房とは)同い年で、今、私が58歳ですから、これまで10数年間ずっと闘病記を探してきました。
初期の頃は、大晦日・元旦も新・古書店を中心に闘病記を探し歩いていたのです。いわゆるエッセイや雑書を丁寧に探してくと、タイトルは何のことかわからないけれども、実は読んでいくとがんの闘病記であるという本が結構山ほどあります。ですから手にして中を見ないとわからないものを探すという作業を、ほとんど日曜も何もなく、しかもあまり儲からないのに10数年間続けてきて、結局今では『がん』と『がん以外の病気』も含めて361種類の病名別に2500冊集めて、注文が来て売れるとまた同じものを探すという作業をずっと続けてきました。
そういう作業をしてきて思うのは、たとえばがんになった場合、その医学的知識はインターネットで手に入ります。ただやはりいちばん重要なのは、そのがんにかかった人が何を考えたのか、何を思ったのかという体験を読むというのが、僕はいちばん参考になると思うのです。
特にうちに注文の来る方というのは、『今入院中です』とか、千葉のほうの大学病院の病室に本を送ったこともあります。それから『ついさっき告知されました』とメールで注文が来る場合もあります。
簡単に言うと、たとえば卵巣がんに関する闘病記を3冊読むと、だいたい卵巣がんがどういう病気なのかという予備知識が頭に入るわけです。その上で自分がどこまで進んだステージなのか、どういう治療法があるのか、病院によってできる治療というのがあるけれども自分の通っている病院だとどういう治療ができるのか、その辺の概略が闘病記を3冊ぐらい読むとわかるということを体験していたのです。」
「僕は3冊どころか、大腸がんに関しては100何冊目を通していたので、予備知識はあります。そこから先、どういう知識を得てどう対処するか、どう生きていくかは自分の問題で、それは自分で考えるしかない。闘病記を読んで何をすべきかということを考えるというのが、闘病記を読むということの最大のメリットだと思います。冷静になれます。冷静になれるというのは、闘病記はわりと正直に書いてありますから、たとえば乳がんと言われて慌てふためく人もいるわけです。わかるのですけど、あまりにも慌てて周りじゅうに迷惑をかけてひと騒動を起こしてというのを読むと、読んでいる人間がかえって冷静になれるという部分がありますからね。だから闘病記を15年間集めて思うのは、人の体験を読むということが結構参考になるということです。
自分が大腸がんと診断される以前に、(知り合いで)大腸がんから肝臓に転移して肝臓の手術はもうできないと言われた人がいて、その方は直接5-FUという抗がん剤を肝臓の血管から注入するという治療を30何回繰り返して、5年後にまだ生きているという人がいます。そういう人といろいろなやり取りをしていましたので、逆に言うと見つかったばかりの大腸がんで肝転移しているとはいうものの、あまりじたばたするのも見苦しいなという気持ちにもなります。」
「要するにいろいろ知っているということが、場合によって知っていて不安になるということもあるでしょうけれど、知らない不安よりは、知っていて不安になるほうがまだましかなと思います。見えない、わからないという不安はいちばんきついのです。
極端なことを言うと、本を読むのが早い人であれば闘病記2冊ぐらいは一晩で読んでしまうでしょうから。インターネットでいろいろ情報を調べるという方法もありますけど、調べだすときりがないのです。極端な人でアメリカのサイトに行って、論文を日本語に翻訳してくれるソフトを使ってパソコン上で論文を読むという人がいますけど、たいへんですものね。論文の世界になってくると、僕は基本的にはそこから先は専門家がやればよいのではないか、結果だけ教えてもらいたいというのがありますので。そうすると、手軽に3人ぐらいの体験を聞けるというのが闘病記かなと思います。」