がんと向き合う

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佐藤千津子 さん
(さとう・ちづこ)
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小腸がん体験者。1971年生まれ。盛岡で服飾の事業、家事、育児をこなすなか、2005年(34歳)に出張先で異様な血便を経験。地元で検査をするも何も見つからず、2007年に専用内視鏡で小腸(空腸)に腫瘍が見つかる。手術後、抗がん剤により延命中、滋賀で腹膜播種専門医の手術を受け、命をつないでもらう。人工肛門を2つ造設。ワクチン療法等を受け、現在も抗がん剤を服薬中。朝晩の瞑想を日課とする。ブログ:千の道
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3緊急転院―心の病を疑われる―2007年5月

「最初に行った病院では、どんどん体重が減るけれど『原因がわからない』ということで緊急で別の病院に移り、その場で検査をバタバタバタとしたのですが、やはりそこでも『すべて正常』と言われたのです。ただ体重が減少しているのが異常なことだったので、先生は『どちらかというと心の病ではないか』と思われて、非常に多くの時間を問診に充てられました。家庭環境とか仕事の環境とか悩みはないかとか、そちらのほうにすごく重点を置かれていろんな話を聞かれました。

『過度のダイエットのしすぎではないか』とか、『心の病ではないか』とか。『心の病はありますか?』と聞いて、『ある』とはなかなか答えづらいだろうからということで、質問の紙を目の前に置きながら、消化器内科の先生が用紙に沿っていろいろと私に聞きました。1回では聞かずにお休みをとり、2日目は『昨日と同じことをもう一度聞くけど、昨日答えられなかったこととかない?』と聞かれました。

3日目もそうした質問からまた始まりました。これまでで自分でおかしいところ、先生に診てもらいたいところ、私のほうから提示することはないかと2日間自分のことを一生懸命考えました。お風呂のときどうだった、食べるときどうだったと、自分の状況を思い返し、そういえばお風呂に入ったときに、体は脂肪がもう全くない状態であばらや骨全体に皮がついているという状況で、みぞおちの左下の部分だけお腹がふーっと盛り上がるように浮いたので『おかしいなぁ』と思っていました。

『(お腹が)浮く』と言った瞬間に、先生が『触らせてくれ』とすぐ言いました。(私は診察台に)寝てひざを立てて、ゆっくーり呼吸しながら、先生は本当にゆっくーり(お腹を)押して、触診するというよりはどちらかというとぐーっと腸に沿って指を滑らせるように動かしたというのを覚えています。」

●カーテン越しの協議

「そのあとすぐ消化器内科のいろいろな先生がずらずらっと来て、もう一度皆さんが触診をして、いろいろと診た結果、カーテンのところで皆でお話をしていて、何かもうすごく心臓がドキドキしたことを覚えています。そしてひとりの先生が『おそらくこの位置からいうと十二指腸より先だ』と言ったのです。それを調べるためには、胃カメラよりも長いファイバースコープが必要で、『これはメーカーさんに言って取り寄せなければいけないので、ちょっと時間がかかる』ということでした。来たらすぐに調べて『細胞診をとって見てみたい。それまで時間があるので、高栄養点滴を静脈から入れるように切り替えていこうと思う』と言われました。

そのあたりからなんとなく私に対することが変わっていったというか。それまで食事も『食べられない』と言っても全部出ていて、『少しでも食べて』と言われていたのが、“絶食”という札に変わって、すべての方向が変わっていった瞬間でした。」

●ファイバースコープでの診断の結果

「(専用のファイバースコープを)飲んだところ、先生の言葉は『僕が大学で“これが悪性腫瘍だよ”と言われて見たものに非常に近い。ただ病理検査では良性が出ているので、手術をしてまず緊急にここをとって食事をとれるという状況にしてみたいと思う』というものでした。

そのときはまだ、『自分は本当にものすごい病気なんじゃないか』というところと、『いやいや私はそんな病気なはずはない』という中間地点に心はまだあり、完全に説明を受けるまでは希望を捨てていないというか、『いや大丈夫だ』と思っていました。」

●鏡に映った自分の体

「手術を受ける前にふたりの先生から説明を受けましたが、外科の先生の濁した言葉の中にとても緊迫感があったので、『私は非常に重いんだ』という確信を得たときには、どうやって部屋に戻ったか覚えていません。主人に背中をさすってもらいながら部屋に戻ったというだけで、考えることもできなくて、手術を受ける3日前ぐらいから今度は非常に現実的になって、もう泣いてばかりでした。きっと私は人生少ないのだろうと。病院の大きな鏡の前で自分の痩せた体をはじめて見て、それはそうだなと。この体を見たら、『当たり前ではない、私はきっともう残りの人生は少ないのであろう』と。ただ夕方になると目の前には2歳、3歳の子供が来ていたので、その姿を見ると『泣き言なんかは言えないな』と思い、本当に苦しい状況でした。」

●子供への説明

「子供には『ママは病気で、ポンポンが痛いの』と言うぐらいです。まだ3歳と2歳という年齢なので、痩せたからどうとかそういうものは一切なかったですね。子供にとってはお母さんはお母さんという感じで。ただ『どうしてママはここにいるの?おうちに帰って来て』ということをいつも言っていたような感じでした。子供の顔を見て、『手術を受ければ、治るんじゃないかな』という希望が自分の中ではあったので、子供が来たときはとても救われて、『ママは手術が終わったら帰るね』と。子供がいなかったらもう、ちょっと立ち直れないぐらいでしたから、いやおうなしに元気に振る舞っていることが逆に自分によかった、前向きになれた感じでした。」