がんと向き合う

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佐藤千津子 さん
(さとう・ちづこ)
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小腸がん体験者。1971年生まれ。盛岡で服飾の事業、家事、育児をこなすなか、2005年(34歳)に出張先で異様な血便を経験。地元で検査をするも何も見つからず、2007年に専用内視鏡で小腸(空腸)に腫瘍が見つかる。手術後、抗がん剤により延命中、滋賀で腹膜播種専門医の手術を受け、命をつないでもらう。人工肛門を2つ造設。ワクチン療法等を受け、現在も抗がん剤を服薬中。朝晩の瞑想を日課とする。ブログ:千の道
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13病気になって変わったこと

「明らかに、物事を許せる自分になったでしょうか。性格が温和になったと思います。言い換えると、何か“物事すべてに興味がなくなった”ということではないのですが、皆が『こういうことがあったんだよ』とか言っても、『あーそう、でもしょうがないよねー』とすべてに対して、『ああ、でもいいんじゃない?』と許せる自分になりました。『まぁ、そんなことじゃ死なないもん』と寛大になったというか、そういう感じになりました。

だから多少のことでは焦らない、怒らない、あたふたしないという感じです。何か失敗をしても、『失敗したんだったら、もう1回やり直せばいいんだから。明日やればいいでしょ?』と。前だったら『どうしよう、どうしてくれるんだ』ぐらいの勢いだったのが、全く違う性格になりました。多分、私は中身が違う人に変わったんじゃないのかなと思うくらい変わりました。」

●病気になる前の自分

「何かいつも怒っている感じです。それは仕事柄、忙しかったというのもあるし、とろとろしていてはいけないような職場だったというのもあります。でも今思い返すと『なんでスタッフにあんなに怒っていたんだろう』ということもいっぱいあります。

ご飯をゆっくり食べるとか、味わって食べたことなんかなかったですね。でも私にとってはそれが普通だったのです。『なんとつまらない自分だったんだろう』と思います。今はすべてのことに対して本当に楽しんでいると思います。

前は、追われるように子供を保育所に連れて行って、母乳を容器に入れて冷凍パックして、保育所の先生に頼んで、時間になったら迎えに行って、同居していてくれていたおばあちゃんに子供を預けてまた会社に戻って、夜8時ぐらいに戻ってお風呂に入れて、というすごいどたばたした生活をしていました。子供たちが寝たあと、スタッフを引き連れて食事に行ったり、お客さんが来てご飯を食べに行ったりして12時ぐらいに戻ってという本当に不健康な生活の中で、それでも子供は朝5時に起きて、洗濯をしてなにしてとやっていたわけです。でもそれは自分の完璧主義さゆえに多分やりこなせていたと思うのです。

今はどっちかと言うと、『雨だったら洗濯は明日でいいや』と、すべてにおいて『ま、いっか』という余裕をもつことができるようになりました。それは多分私はいちばん大きな点だと思います。生まれ変わったと思います。」

●完璧主義の先に求めていたもの

「そのときはそれが当然だと思っていたので、そうすることによって自分が会社を切り盛りしている、私はこれをして社長だというその意識だったと思います。そうしないといけないと捉われていましたから。ですから、その先に何があったのかと言われると、多分私の自己満足に過ぎなかったと思います。当然、仕事は利益的にある程度いただいていたというのもあったのですが。でも社員はつらかったと思います。スタッフはつらかったと思います。」