がんと向き合う

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佐藤千津子 さん
(さとう・ちづこ)
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小腸がん体験者。1971年生まれ。盛岡で服飾の事業、家事、育児をこなすなか、2005年(34歳)に出張先で異様な血便を経験。地元で検査をするも何も見つからず、2007年に専用内視鏡で小腸(空腸)に腫瘍が見つかる。手術後、抗がん剤により延命中、滋賀で腹膜播種専門医の手術を受け、命をつないでもらう。人工肛門を2つ造設。ワクチン療法等を受け、現在も抗がん剤を服薬中。朝晩の瞑想を日課とする。ブログ:千の道
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82つの人工肛門

「やはり大きな手術の代償でとても治りが遅くて、癒着のあったところが破れてしまい、緊急で翌2月17日にもう一度手術をしました。そのときには主人も岩手に戻っていたので、生命の危険を感じた医師が『たいへん申し訳ないが、手術を承諾できないか』と電話で了解を得て、主人は『そんなに緊急なのであれば、すぐ手術をしてください』ということで手術をして、その時点で2つ目の人工肛門がつきました。」

●2つ目の人工肛門を見たときの気持ち

「2回目の手術でさらに2つ目の人工肛門ができるとは聞いていなくて。ただ『緊急に手術が必要だ』ということで、私はもう本当に痛みにもがき苦しんでほぼ意識はない状態でした。

目が覚めたときに(2つ目の人工肛門ができたことを知り)また意識がなくなるような思いで『えー、もうこんな身体で逆に生きられるのかな。体がこういう状態で人って生きられるのかな』と単純に素朴に思いました。

でも家族は電話で聞いていたようです。『おそらく(2つ目の人工肛門を造ることに)なるであろう』ということを聞いていて、主人としては『今こんなにがんばっている状況で、癒着だなんだで命を落とすわけにはいかない』からすぐに『そこは仕様がないからやってくれ』ということで。私自身は目が覚めて、『こういう手術をしたんだよ』と聞いて、ちょっと愕然としました。」

●母の言葉

「急いで飛行機で駆けつけてくれた母と姉の顔を見たときに、どうやら私は『こんなに苦しいのであれば、もう終わりにしたい』と言ったようです。朦朧としていたのであまり覚えていないのですが、それだけ苦しかったですね。3回目の手術はすごく苦しかったです。

病室に戻ったときに、『こんなこと言ったよ。そんな、がんばんなきゃダメだよ』と母に言われたときに、『あら、そんなこと言ったんだ』と思って、『うん、がんばるね』と言いました。母が、子供たちが保育園で節分の豆まきをしている新しいビデオや写真を持ってきてくれて、それを見せてもらいながら『あぁ、がんばんなきゃなぁ』と思いながら時間を過ごしていました。」

Q.お子さんたちは自宅でどのように過ごしていたのでしょうか?

「子供なので、(電話で)お話すると泣いちゃうんですよね。でも少しするとけろっとして遊んでいるということは聞いていました。下の女の子のほうは、電話で話すときに『マーマー、マーマー』と泣くのです。お兄ちゃんのほうは電話では話をするのですが、『夜になってお布団の中で泣いている』と主人から聞いてました。」