統合失調症と向き合う

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吉原秀一さん
吉原秀一さん
(よしはら・ひでいち)
1944年生まれ。2歳年下の実妹が昭和41年(1966年)に発症、統合失調症と診断。初めての入院から現在まで病院生活を送っており、いずれは妹を地域で暮らせるようにしたいと思っている。地域の家族会やNPO法人の作業所「ほっとハウスやすらぎ」の運営に携わっており、また福島県精神障がい者家族相談員としても活動中。現在、実弟と2人暮らし。
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2家族(妹)の精神科受診の経緯

「(病気体験者は)妹になります。2つ違いの妹で、妹は昭和21年(1946年)の8月生まれです。ただいま、入院中です。

妹は東京にいたんです。彼女はものすごく頭が良くて、学年でもトップクラスの学力を持っていたんですけども、父親がちょっと古風な考えを持っていて、(女性には)学問はいらないということで妹は中学校を卒業すると同時に東京に就職したんですね。そのときにやっぱし頭が良かったものですから、就職したと同時に寮に入りまして、その寮の責任者に、最初からなって、それで精神的なもので…。

私も向こう(東京)にいましたので、私のところに2年後かな3年後に(就職先から)電話があったんですね。『妹さんが出かけていって戻ってこない』と。どうしたんだろうということで、私も妹が勤めているところに行ったんです。で行ったら、行方不明というか仕事が終わって(寮に)帰ってくるとふらりとどこかに出て行ってしまうということがありまして、寮のほうではとてもじゃないが面倒はみられないと。『こりゃあ、おかしいな』ということで、取りあえずは妹を田舎のこちらに、私が列車に乗せて一緒に戻ったんですよね。

そのときは父親が田舎で1人で生活していまして、父親がずっと(妹を)面倒みて、私はまた東京に戻ったんですね。そのうちに、妹が病院に入院したという話を聞きました。その辺の父親が妹を入院させた状況というのは、私自身は向こう(東京)にいたので分からないんですけども。昭和41年(1966年)統合失調症、当時は精神分裂病と言いましたけども、その病名がついて入院したという経過ですね。

私は、向こう(東京)に10年ちょっといて、こっちに戻ってきたんですけども、戻ってきてもすぐに妹と関わったわけではなくて、父が認知症になるまでは、父がずっと妹に関わってきて、私は他人事みたいな生活をしていました。それでも、彼女が入院している病院には、父親と一緒に面会には行きました。」

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