統合失調症と向き合う

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ぺこちさん
まるさん
(ニックネーム)
30歳、女性。2005年、26歳のとき、当時住んでいた沖縄で発症し2日間入院。退院後、東京の実家に戻ったがすぐに再発し、都内の病院に2か月入院。28歳のときに再発し再入院。退院後はいくつかの仕事に就き、現在は実家で両親と共に暮らしながら、絵を描くなどの創作活動を行っている。
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4退院後の生活について
●育成室で働く

「(2005年)10月に退院して、2006年の4月から育成室で働き出すんですね。 児童館みたいな、小学校1年生から3年生までが通うところなんですけども、そこで働くことに決めて。主に一緒に遊んだりとか、本を読んであげたりとか。できる限り頑張ろうっていう気持ちがすごくあったので、通っていたんですけど、やっぱり副作用で、手は震えるし…、なんかすごく、闘いですよね、薬と自分の自律神経のバランスを取り戻すのに。すごく大変な思いをしながら、いつも仕事行く前に、辛くて起きれなかったり、ぼぉーっとしているから、もう泣きながら起きて、『行ってきます』とか言って、仕事に行って。で、仕事場では、子供達がうわぁって遊んでいるので、その中で一緒になって遊んで、帰ってくるともうぐったりして、ご飯を食べてすぐ寝ちゃう。6時ぐらいにはもう寝ていましたね。それをずっと半年ぐらい続けて。で、やっぱ、体がもたなかったんですよね、子どものパワーって凄いので、すごく疲れてしまって、それで辞めて…。」

●遺跡発掘、ビールの宣伝販売

「でも働かないとお金がないので生活できないということで、次は遺跡発掘の仕事を始めて。土とか、そういう自然に触れていれば落ち着くし、バランスが取れるので、その仕事を見つけて働いて。2か月ぐらい働いたのかな、毎日。土木作業みたいな体力仕事で、土を掘って運んで掘って運んでということをしているうちに、だいぶバランスが取り戻されてきて、フレッシュな気持ちになってきて、汗をかくっていいんだなあって思って。で、薬に絶対負けないとか思って一所懸命やって…。

育成室は、区報みたいな新聞に載っていたのを見て、あ、これなら、(相手が)子どもならできるかもしれないと思って、自分で探して面接へ行って、それで受けて、やって。でも、また沖縄へ戻りたい、沖縄で生活したいっていう気持ちが強くて、沖縄に行くまでの間、お金が必要なので、遺跡発掘の仕事をして。遺跡発掘って、その場所が終わると終わっちゃうんですね、仕事が。で、全部終わったっていう段階で辞めて。それでもやっぱりまだお金が足りないと思って、ビールを売るキャンペーンガールみたいものをやって。あれは結構辛かったですけどね。8時間とかずうっと宣伝、話しっぱなしだし。そういう仕事もちょっとしたりしながら、お金を貯めて…。」

●再び沖縄での生活

「それで、2007年の1月に(沖縄の)島へ引っ越して、1人で自立した生活を始めました。そこは、前にも働いていた仕事場だったので、知っている方もたくさんいるし、社長さんや奥さんもすごくよくしていただいたので、理由を話して、雇ってくれるっていうお話だったので、そこでまた毎日働くようになって。でも薬は飲み続けている状態なので、やっぱり眠気がひどくて。でも、目の前が海だったり山だったり自然の中なので、仕事に行く前に海に入って、で、ちょっとヨガをして、朝ご飯を食べてから仕事に行く、終わったらまた友達とワイワイしたりとか、すごく楽しい生活をしていました。」

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