「(病名は)聞いたんですけども、判断しにくいっていうことは言われていて。そこで判断していただいたのが、「統合失調感情障害」っていうふうに書かれて。私もどういう病気なのかなって自分なりに本を読んだり、少し勉強して。100人いたら100人のケースがあるって書いてあったので、ううん、その中に私も含まれるのかなあとかいろいろ考えたんですけども。まあ、私は病名がなんであれ、病気じゃなくても病気でも、それは関係ないんですよね。なんでもいいんですよね、それは、表面上のことだから。自分自身納得できる気持ちが、今の自分が健康で楽しんでいられればそれでいいから、そのために何をしたらいいかとかを考えたほうがいいなあって思うようになって。自分はこういう病気だからって落ち込むんじゃなくって、なんか想像することとか祈ることとか、そういう力のほうが大切な気がしていて…。」
「覚醒してからの体験で思ったことは、想像すればいいって私は思っていて…。全部作り出したものだから、人間(が)。想像したものが形になっていっているから、私はこういう世界であってほしいなとか、自分がこういう生き方をしたいなとか、周りの人が笑っていてくれたらいいなあとか、そういう想像を常にして、そうすると本当に良くなっていくんですよね。今、うちの家族(関係は)すごく良くなって。大変な時期もあったけども、前よりもすごく強く結ばれた気がするし、知らなかったことや理解できなかったこともわかり合えるようになったし。両親や友達には辛い思いもさせてしまったけれども、その経験をプラスに変えて、いい方向にもって行けたらなあってすごく思います。
自分で受け入れることも大切ですよね。客観的に見るとか。でもどこかでこういう状態になるっていうことが、意味があるような気がしていて…。小さい頃から考えていることはあんまり変わっていなくて。そうですね、1本のものはあって、でもそれを言って理解してもらおうとか、そういうのじゃなくって他の方法で表現を変えて。私は宗教的になるのはあまり好きじゃないので、それを私は絵に換えたり、音楽に換えたり、自分なりの仕方で(経験を)表現できたらいいなって…。」
「介護の仕事を通して、自分がされる側とする側の気持ちがわかったんですね。介護ではないけども、病院の中にいたときはされる側だったんですよね。『閉じこめられる』と思っていたけど、そうしている人は休めるためにとか考えてくれているんですよね。すごくみんな、その人のために動いてくれていることが、介護の仕事を通してわかったっていうのもあって…。
認知症の方が、介護しているときにいらっしゃって、夜、徘徊してしまうので、鍵をかけて閉じこめてしまうんですね、出てしまわないように。だけど、その閉じこめられる気持ちを私はずいぶんわかっているので、本当に何がしてあげられるんだろうって考えて、すごくその人と話したことがあって。そしたら『本気でそうやって考えてくれている人がいるなんて思わなかった』って、泣きながら話してくれて…。
していいこととしちゃいけないことがあったり、ルールがあったり、マッサージはしちゃいけないとか、決まりがいっぱいあるんですね。で、私は、そういう決まりの中で動くのが、すごく不自然な気持ちになっていて。本当にその人のことを思ってやっている仕事なのかなって疑問が出てきちゃったんですね。マニュアル通りにやることが本当にその人にとっていいことなのか、良くしようと思っているのだったらば、どうして真剣に心から接することをしないんだろうなあとか、すごく考えて。でもこれは、雇われている側だから仕方ないんだなって思って、だったら自分が心から動けることをしようって考えて。で、今、自分の中で考えているビジョンっていうのは、四国の祖母のところに移り住んで、まず祖母のそばにいて一緒に生活すること。あと、田舎は過疎化も進んでいますし、少子化も進んでいるし、おばあちゃんやおじいちゃんだけで住んでいる人もたくさんいるので、そういう家を回って、私はちょっとアーユルヴェーダのマッサージとかを勉強していたので、ただ触れるだけでもいいし、匂いとか、音、音楽とかそういうものをもって行ってあげて、時間とか決めないで、訪問でできることをしたいなって思っているんですけど。」
アーユルヴェーダ:インドの伝統的な学問で、その名はサンスクリット語の「生気、生命」と「知識」の複合語。現代でいう医学のみならず、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含んでいる。約5000年の歴史がある。