「最初、1991年の春ぐらいに症状が出たんですね。18(歳)から19(歳)になるときで専門学校に入り立ての年でした。学校に行っていて、なんかこう壁が迫ってくる感じとか、人の声がすごく自分を攻撃してくるような声だったりとか、感覚的にだんだん変になっていったりという症状があったり、自分が人を傷つけてしまうのではないかという怖い思いをしたりとか夢を見たりとか、そういう感じになっちゃったんですね。
母とか父に連れて行ってもらったりして、いろいろ病院を回ったんですね。でも、(病院に)行っても体調とか体には異常がなくて、もう町で行く病院もなくなっちゃって…。そしたら、やっぱり最後に精神科に行ったほうがいいのかなあと思って、精神科に連れて行ってほしいって父と母に話して、病院に行きました。父とか母は、そのときはあんまり乗り気じゃなかったみたいなんですけど、自分でそこの病院に連れて行ってくれって言って。(町に)大きい病院が2つあって、そのとき祖母が精神科にちょっとかかっていたんですけど、祖母が行っていた病院ではないほうにかかっちゃったんですね。
あらかじめ母とか父とかがいろんなところ、その町にない病院とか大学病院とかに電話をかけて、いろいろ聞いたらしいんですね、『こういう場合はどうしたらいいのか』って。でもやっぱり精神科にかかることをお勧めしますって言われたり、それから自分自身も強い希望をそのとき出しちゃったので、その地域の(精神科のある)病院といったら2つぐらいしかなかったので行ったんですけど。
(総合病院ではなく)精神科という(単科の)病院でした。あんまり覚えていないのですが、だいたい春ぐらいからおかしくなって夏には入院していたように思います。」
「入院期間は2、3か月だったと思います。そこの(入院した)病院のイメージ、今、あまり良く思っていなくて、それで忘れたい気持ちが強く働いちゃっているみたいなので、あんまり覚えていないんですけど。先生と話しをしたりしたときに、『ちょっと入院してお薬を調整してやっていきましょ』ということで、入院になっちゃったんですけど。
(治療は)薬ですね。すごく強い薬だったので、飲むと眠くなっちゃったり、体が、今はこうやって真っ直ぐできるんですけど、そのときは、もう自然とこう前のめりになっていっちゃったりとか、よだれが出ちゃったりとか、そういう感じでした。病院に入院しているからその状態でいいのかもしれないんですけど、だんだんそういうのがちょっと辛かったんですけど。退院してからもしばらく眠気とか体が動かしづらいとかそういう症状は、続いていたと思うんですけど。
(薬以外に)たぶん作業療法っていうんですか、みんなで何かやる。大きい体育館に行ってそこで雑誌の付録を詰める作業をしたり…。」
作業療法:具体的・現実的な作業活動(遊び、創作的なものから日常生活に関連するものまで)を利用して、精神機能の向上、対人関係能力や作業能力の改善などをはかり、その人にとってのより良い生活が送れるように指導、援助を行うこと。