「2回目退院したあとは、しばらく家にいました。引きこもりのような生活をしていました。21(歳)の終わりぐらいから23(歳)の終わりぐらいまでですね。あのときは(病院に)通ったりしていましたね。たぶん1週間に1回とか、2週間に1回とか、だんだんちょっとずつ期間が長くなっていく感じだったんですけど。
自分の部屋にテレビがあったので、ずっとそれを観ている感じだったし、たまに家の母が買い物に行くとき一緒に行ったりしていたんですけど、自分だけで外に出るということはあんまりなかったように思います。薬が強かったので、まともに考えられないというか、考えても、なんて言うんだろう、現実じゃないことを考えたりとか、テレビで言っていることが自分のことを題材にしてテレビもドラマやっていたりするんじゃないかとか、そういう感じで、自分の部屋とか自分の家から外に出ることができない状態だったような感じだったんですよね。家族とは普通にしゃべったりしているんですけど、家族以外の人としゃべるとかそういうことはあんまり考えられないというか。なんか、怖いっていうんですかね、外に出るのが。そういう感じになっていましたね。図書館とかは行っていたかもしれないですけど、すぐに帰って来ちゃって、部屋で引きこもっている感じ。
ひどいときは、パジャマで、朝、母がごはんをつくってくれて、それを食べて、また部屋に戻って寝て、とか、母が夕方帰ってくるまでそのまま寝っぱなしとかっていう感じ。ひどかったときは、なんでしょう、昼夜逆転がひどかったりして、深夜までとか朝方までテレビを観ていたりしていました。」
「父が倒れちゃって、父が入院している病院に通うためにどうしたらいいかって考えて、バイクというか原付の免許を取ろうって思ったんです。それでそれ(免許)を取ったら自信がついて、外にも出られるようになってきて。で、アルバイトを始めたり。そういうので23歳の終わりから24歳ぐらいの間にだんだん外に出られるようになっていったという感じです。」
「23歳の後半から外に出られるようになってアルバイトを始めたりして、26歳か27歳のときにまた結婚するんですけど。それで、その間はまた薬を飲まなくなっちゃったんですよ。普通の人になりたくて、健常者になりたくて、薬を切っちゃって、病院にも行かなくなっちゃって。それでアルバイトもがんがんやって、『私は普通の人だあ』みたいな感じで、生活していたんですね。
その中で知り合った人と結婚して、子どもを生むことになって。そしたら、なんでしょう、自分のペースと相手方の家のペースが合わなくなっちゃったんですよね。やっぱり育ってきた環境が違うし。相手と自分の違いとかも分かっていたはずなんですけど、なかなかうまくできなくて。それで子どもも生まれて、子育てとかもしなきゃいけなくて、それがだんだん回らなくなってきて、また精神的に追いつめられる感じというか…。
子どもといるときは良いんですけど、家事をやらなきゃいけないとか、相手方のお姑さんとかお舅さんとかが家にふっと来られたりするときとかの緊張感とか、そういうのが普通の生活なんでしょうけど、そういうストレスというのがすごく自分は弱かったみたいで、また今度何もできなくなっちゃって、神経衰弱という感じになっちゃって。それで、その時住んでいたところのクリニックを紹介してもらって、行って、その紹介で今の病院に来ているんですけど。で、また入院することになる。それが3回目の入院なんですけどね。
(家から)遠いんですけど、クリニックだったので、入院施設がないということと、あと薬を(クリニックで)何回か処方されたんですけど、どれも合わなくて。で、薬もお医者さんから出される薬を飲んでいれば治ると信じちゃっていたんですよ。なんて言うか、ちっちゃいときから体が弱くて、いろいろ病院にかかっていたんですけど、そういう病院、他の一般科の先生が飲ませてくれる薬を飲んでいれば治ったり、先生の言うことを聞いていれば病状が良くなったりすることがあったので、精神科もそうだと思っていて、出される薬は飲んでいたんですよね。疑わないし、その薬のことを調べるとかそういうことまで気が回らなかったっていうか、飲んでいれば良くなるんだっていう感じ。でも(薬を)飲めば飲むほど、体が動かなくなっていくという感じで、それで、ちょっと精神科に対して不信感みたいなものを持っちゃったんですけど。」