「34歳の時に、はじめて閉鎖病棟に入院したのですけれども、入院した初日に、看護師さんから『ミエちゃん』と下の名前で、ちゃん付けで呼ばれて、『シーツ交換、自分でできるんだったらやっておいてね』と言ってシーツを置いて帰っていかれたという出来事がありました。それはものすごくショックを受けました。
やはり34歳の患者さんに下の名前で、ちゃん付けで呼ぶということは、他科の病気ではあり得ないですし、他科の病気で入院している場合は、シーツ交換はたしか看護師さんのお仕事だと思うので、ここでは患者がしなくてはならないのかということに驚きました。」
「その時はやはり自分の症状が悪かったですし、とても訴える力がなかったので、後日、本に書かせていただきました。そういう形で間接的に訴えるということは、できたのかなとは思っています。」
「憶えていますね、やっぱり。ただ、時系列がちょっとゴチャゴチャになっている部分があって、何歳の何月頃こうだったというような、病状のことは割と憶えているのですが、病状にあまりにも引き込まれていたので、その時社会でどんな事件が起きていたのかとか、時代の流れとかが、全然、記憶に残っていないのですね。だから、33歳から37歳の4年間に何があったのかということが、まったく思い出せないです。」
「主治医の先生が言ってくださった言葉なのですけれども、『賢くなくてもいいやん』とか、『一生懸命じゃなくてもいいやん』と。『もっと肩の力を抜いて気楽に生きていかないと。人生勝つことよりも楽しむことのほうがずっと大事だよ』というようなことを言ってくださいました。その言葉はすごく自分の価値観というものを変えましたし、肩の力がスーッと抜けたといいますか…。もうこういう病気になったのだから、人と比較して、自分が劣っているとか優れているとか、そういうことを気にするのではなくて、自分の人生だから自分が楽しいと思えればそれでいいのだと、考えを変えることができました。
今は、かえってこういう病気になって良かったなぁと思う気持ちのほうが強くなっています。病気にならなければ、おそらく、社会の中で辛い思いをされている方の気持ちなどが本当の意味では分からなかったであろうし、自分がその病気になって当事者になったがために、今現在、こういう活動ができるということは、自分にとってもすごく生きがいにもなっていますし、天職のようにもなっていますので、今は、病気に感謝していますね。」