「私の記憶によると8回になります。また再発を繰り返して……。
17歳が初めてで、A病院ですね。21歳にまたA病院。この時は、失恋したり、仕事がうまくいかなくなったりしていたのですけど。とても好きな人ができて、先生にも、『なんか幸せ過ぎて怖いぐらい』と言ったら、たぶん躁状態だったと思うのですけど、ガチャンと、また(病院に)入れられたのです。
『えっ?』と思って。『ええ、なんでー? 調子いいのに』と言ったら、『調子がいいのではなくて、躁状態になっているからやはり危ないと思う』と言われたと思うのですね。自分としては、恋愛もして、仕事もして、それで充実しているということを先生にお伝えしているのに、『あぁ』と思って。それもまた保護室で、鉄格子が後ろにあって、ベッドだけの所に入れられました。
それで、紙をくださいとか、書きたいから書き留めたいからペンを貸してくださいと(言っても)、全部だめでした。その時のほうが、第1回目の入院よりも、すごく怖くてというか不本意な入院なので、もう耐えられないと思って。それが21歳、2回目(入院)のA病院ですね。(2回目の入院期間は)1年ぐらいだったと思います。」
「高校を卒業してすぐ、やはり大学とかにも行きたかったのですが、学力もついていかないし経済的にも大変なので、病院の先生などから、『デイケアに通ってください、デイケアか作業所ですね』と言われたのです。『普通に働いちゃいけないんですか?』と言ったら、普通はやはり無理だと思いますと言われたのですが、それがちょっと悔しくて、いろいろ……。
やはり自分が若かったこともあるので、『そういう選択はちょっとしたくない』と言って、その時にはアルバイトを転々としたのです。24歳から25、26歳、2年半ぐらいは歯科助手のお仕事をしました。それはクローズでしたものですから、周りは知らないのですね、(私が)病気だということを。それを隠そうとするあまりに、また一所懸命、なんでしょう、きつくなったり、薬もトイレで飲んでいたりするので、受診にも行きにくくてですね。その歯科助手の時も正社員で入れていただいたので、病院に行く時間もないし。
それと薬をやめたいというのが(あって)。薬の副作用もとても辛かったのですよね。だから、周り(から)反対されても、それでもいいから普通に働いてみたいと自分で決めてやったものですから。次の入院が、その歯科助手の27歳ぐらいの時に3回目の入院(A病院)になるのです。」
デイケア:地域の保健所や精神保健福祉センター、医療機関などで、個人別の評価と働きかけ、およびレクリエーションやSST(社会生活技能訓練)などのグループワークを組み合わせることで、社会復帰の足がかりとする取り組み。
「相変わらず幻聴とかそういうものも聞こえるし、あとはやはり眠れなくなるので薬がほしいと思ったのですが、そこは我慢してというか、断薬したのです。(薬は)そうですね、あの頃は何でしょうね?昔の古い薬だから、思い出すまでは難しいのですけれども。
その時は、ここ(インタビュー場所)がAクリニックという所だったのです、外来だけの。ここに通っていました。その時の、またA病院の主治医の先生が変わるのですけれども、『ここより外来のほうがいい』と言われて、紹介していただいて。通院です。
その時が28歳で、私、リストカットをしてしまって。それで、どこの病院に連れて行くかというので、父と母に、『もう怖いところは嫌』と言って、父の判断で、Qセンターに行こうと。大きい病院ですし、Qセンターには、父が血圧のあれ(治療)で通っていたからですね。まあ、結果、良かったのですけどね。
私、リストカットしてしまったので、どうしようと思ったのですけれども、先生はとてもいい方で、私もうこんなことしちゃったから、一生、またA病院に入れられるのかなと思っていたら、その先生が、『そんなことはしない、大丈夫』と、とてもよく話を聞いてくださって、半年ぐらいで退院できました。」
「なんかですね、死にたいと思ったり、消えてなくなりたいと思ったり、なんかそういう感情から、そういう行動に出てしまって……。
兄の所に行っていて、兄の所でリストカットをしてしまいました。」
「もう、ゆっくりですね。そんなにデイケアとかもなかったですし、まあ普通に。なんでしょう、朝起きて食事してゆっくりしてという感じで。そこでは、保護室とかにも全然入らなくてよくて、普通に。新しい病院だったから、きれいでもありましたし、主治医の先生がとてもいい方だったので、すごく早い回復というか、そんな感じはしておりますね。
退院して、その時が30(歳)目前ですよね。(その後)また、別の病院に入院することになるのですが……。K院というところに入院しているのです。
最終の入院は、40歳の時ですね。I型センターにピアスタッフとして入職して、その年に、父が亡くなって、それがいちばんショックで、やはりちょっとおかしくなってしまったので。『3か月という約束で戻ってきてください、復職してください』と言うことでA病院に……。
やはり父が亡くなったことで、いちばんは経済的にどうしていこうということもあったし、父がとても優しくて真面目で、本当に大好きな父が亡くなったので、それがとてもショックでした。で、3か月入院して、また復帰して、今まで、ピアスタッフとしてつばめ福祉会に。9年目になるのですけど。」
「いろいろ相談したり、紹介状を書いていただいたりして…、結局私はA病院しか受け入れができないというような形を言われました。
N(実際はQ)センターは、とても良かった、助けてくださった先生が転勤で、診られないということで、『どうしますか』という話になった時に、他にも結構いっぱい行っているので、やはりA病院がいいでしょうということでした。」
「お薬をきちんと飲んでいなかったから。症状が出た時にやはりお薬でという部分も大きいと思いますから。その分(飲まなかったこと)がいちばん大きいかなと思います。」